【テレビの偉人さん列伝】

「撮影前日にショック死」テリー伊藤、演出家時代の苦情殺到・大炎上エピソード

2013/09/09 11:45
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ホリがいれば割りと間に合っちゃう

 『天才・たけしの元気が出るテレビ』、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(いずれも日本テレビ系)、『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)、『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)……。80年代から90年代を代表するバラエティ番組の数々には、ある人物が関わっていた。今や芸能界のご意見番としておなじみのテリー伊藤である。

「時々キレる、口うるさい時事評論家のように思われがちですが、現在のテレビ業界でトップを走る制作会社の代表取締役ですよ。我々テレビマンからしたら伝説の演出家といっても過言ではない。彼の手がけた番組は、今では絶対に放送できない企画のオンパレードなんです」(テレビ制作会社社員)

 伝説の演出家・テリー伊藤の手がけた、今では放送禁止の番組とは一体どんなものなのだろうか?

「今より規制の緩かった80年代でさえも、テリーさんの番組は放送内容が下品かつ過激すぎて打ち切られることがよくありました。日テレで82年に放送した『テレビに出たいやつみんな来い!!』は素人・芸人問わず審査員に一芸を披露し、チャンピオンを決めるというもので、顔面に塗りたくったチョコを舐め合う『シャネルズ』、全身ガムテープを巻きつけ最終的には全裸になる『ミイラ男』など、ネタはくだらないものばかり。当時人気絶頂だったビートたけしの漫才コンビ・ツービートが司会にもかかわらず、10回放送しただけで打ち切りになりました」(同)

 ちなみに「ミイラ男」として出ていたのは、当時すでにタレントとして活動していた片岡鶴太郎が「素人」という触れ込みで披露したネタだ。

「素人の暴走で番組が破綻しないように、芸人であった鶴太郎さんをレギュラー出演させていたということですが、結局はその下品さに2カ月で終了しちゃいました」(同)

 今では動物虐待で問題になりそうな企画も、数多く手がけている。

「73年、謎の類人猿オリバー君を特集した番組に新人ADとして参加したテリーさんはオリバー君の世話係を担当したんですが、これがただのチンパンジーだったとか。それを知らない世間の人は、『謎の類人猿』に熱狂。この時、アプローチの仕方を変えるだけで世間を騒がせることができると知り、テリーさんは感心したわけです」(バラエティ構成作家)

 以降、彼の演出したバラエティ番組には動物が度々登場する。

「『シマウマは素肌も白黒か?』という企画で用意したシマウマが、撮影前日にショック死したため、なんとか生きてるように見せようとスタッフを使って動かしたり。日テレで放送された申年の正月番組では、本物のサルを使って『もぐら叩き』を行ったため、苦情が殺到。これが原因で、しばらく日テレの番組制作から外されたといわれていますね」(同)

 怖いものなしの状態だった当時のテリーには、誰にも逆らえない凶暴さがあったという。

「とにかく現役時代は、現場で芸人、スタッフ問わず、怒鳴り散らしてましたね。鉄拳が飛ぶのも当たり前で“ケリー伊藤”って名前がついたくらいですから。企画書が面白くないとスタッフをコテンパンに追い込んで、ある時なんか会社のビルの屋上から、怒りのあまり自分の机をブン投げたりね(笑)」(テレビ制作会社社員)

 破天荒な企画の数々を見ると、生ぬるい常識的な考えを徹底的に否定する姿勢がうかがい知れる。

「多少世間のルールを逸脱した内容でも、わかりやすく、誰が見ても面白いものを優先していましたね。なので企画書も、漢字を多用したようなものは『どんな視聴者が見ても面白いものを作ろうとしてるのに、こんな小難しい文句使いやがって!』と、ほとんど読まずに捨ててましたね(笑)。学生運動時代に培われた精神らしいですよ」(同)

 しかし、天才演出家にも転機が訪れる。

「90年代後半に入ると、自分の考えている企画と世間のズレを感じ始めてしまった。そこでテリーさんはテレビ制作の道を後進に譲り、出演者側としてテレビ業界で生きることを決めたんですね。彼を師と仰いでいる人物は、日テレの『電波少年』でおなじみの土屋敏男、構成作家ではおちまさと、そーたに、都築浩ら、現在のバラエティで活躍しているメンバーです」(バラエティ構成作家)

 還暦を越えたテリー伊藤。現在はワイドショーのご意見番として活躍しているが、テレビ離れが加速している昨今を寂しく思ってはいないのだろうか?

最終更新:2013/09/09 11:45
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