[官能小説レビュー]

『透光の樹』が描く老いらくのセックス、無言の愛を“耳で聞く”という快感

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『透光の樹』/文藝春秋

■今回の官能小説
『透光の樹』(高樹のぶ子、文藝春秋)

 ただ欲望に身を預けて互いをむさぼることこそが「セックス」である――若い人はそう信じて疑わないだろう。セックスという行為を、初潮や声変わりなどの肉体的成長の一環としか捉えられないからかもしれない。若い頃のセックスは心がなくても楽しめる。まるで、あらゆる男たちと肌を重ねることこそ女としての勲章でも得られるかのように、若者たちは刹那な快感を求める。

 しかし、歳を重ねれば重ねるほど、そんな一瞬の快感に溺れていた当時の自分に問いかけたくなるはずだ。セックスとは、そんなものではない、と。年齢を重ねることと平行して、セックスに求める思いは次第に変化してくる。では、大人たちのセックスとは何なのか。そして、その先に存在するものは、一体何だろう。

 今回ご紹介する『透光の樹』(文藝春秋)は、25年ぶりに再会した、番組制作会社を経営する家庭持ちの中年男性・郷と、北陸の田舎町に住む美しいバツイチ女性・千桐の物語だ。多額の借金を抱え、寝たきりになった父と娘の3人で暮らす千桐。そんな彼女に郷は、借金を肩代わりする代わりに愛人にならないかと持ちかける。千桐は、自らを「郷の娼婦」と名乗り、導かれるまま彼に抱かれる。久しぶりに男に肌を見せることに躊躇する千桐に郷は愛しさを感じる。

 しかしいつしか2人は、最初に掲げた「愛人と客」という肩書きに窮屈さを感じるようになる。千桐は娼婦としての立場をまっとうすべく、郷に対して全霊を賭けて尽くそうとし、郷はそんな彼女に対していっそう恋心を募らせてしまうのだ。燃え上がる純粋な恋心を否定するように、さも肉体関係のみでつながっているかのようにうそぶく2人は、痛々しくさえ感じる。

 男と女は初期設定を間違えると、後々不自由になるのかもしれない。「娼婦と客」という肩書きを貫こうと、よそよそしく関係性を保ちつつも、言葉や行動の隙間から洪水のように愛情が漏れ出てしまう。そんな2人の不自由さは、「電話のシーン」に、より鮮明に描き出されているように思う。本作は携帯電話のない時代が舞台になっており、2人は千桐の父や娘の寝息を感じながら、深夜に短い電話をする。その、声も存在も潜めながら、まるで世の中の喧噪を縫うようにつながる様に、「静かに愛を育んでいくしかない」という2人の宿命がひしひしと感じられるのだ。

 こうして、さまざまな葛藤を抱きながらも、ようやく2人がそれぞれの恋心に対して真摯に向き合おうとした時、郷の身体に異変が起こる。

 千桐は、修学旅行以来の東京へ足を運ぶが、再会した郷は癌に冒されていた。赤坂の喧噪の中に埋もれるように、重なり合う2人は、“耳”のような形を描き、互いの鼓動に耳を傾けるのだ。

 この相手の無言の声を“耳で聞く”という行為にこそ、歳を重ねてからの恋愛であり、セックスではないかと思う。未来ある若者たちが語る「結婚しよう」「これからも、愛してる」「ずっと一緒」といった言葉が、老いらくの恋には意味がない。彼らは常に“死”を見据えており、だからこそ口数は減り、じっと相手を感じて、愛する者の体温を身体に刻むのだろう。

 それぞれを傷つけ合うように激しくぶつかり合い、思いのまま愛欲を向け合うという若いセックスの形もあるが、歳を重ねてから、身体以上に相手の心に深く寄り添うことで、心の快感を得るというセックスもある。郷と千桐のように“耳”の形になり、無言の愛の言葉を交わし合うことで、言葉以上に心の声を素直に表現してくれる。その快感は大人にしか体験し得ない、年輪を刻んだエクスタシーなのかもしれない。
(いしいのりえ)

セックスする相手がいるだけでうらやましいわよ

しぃちゃん

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