[連載]悪女の履歴書

真面目さの奥に芽生えた“目的”に生きた、「東アジア反日武装戦線」の女たち

2013/05/06 17:00

■真面目さゆえの思想への共感

 大道寺あや子は48年、5人兄妹の末っ子として北海道釧路で生まれている。父親が公務員という堅実で恵まれた家庭に育ち、地元の進学高に入学した。この高校の同級生に、後に夫となり共に逮捕されることになる東アジア反日武装戦線リーダー・大道寺将司がいた。将司は目立たない学生だが、あや子は男子の憧れの的存在だったという。あや子の評判は抜群だったようだ。成績もトップクラス。すらっとした美人で垢抜けている。几帳面で世話好き。そんな2人は高校時代、さほど親しくなることはなかった。

 高校を卒業したあや子は、上京して星薬科大に推薦で入学。そこで自治会活動、授業料値上げ反対闘争などにも参加するようになる。そして大道寺将司に再会を果たすのだ。親交を深めるうちに大道寺はあや子をオルグし、また恋人関係にまで発展していく。交際は卒業後も続いていく。

 あや子は卒業後薬剤師として医院に勤務をしていたが、事件の前年の73年大道寺との結婚を期に転職した。転職先は薬品会社で、そこでの仕事内容は薬品調達だった(転職は爆弾作りの薬品を入手するためだったとも言われる)。

 会社でも物静かで良妻賢母と目され、実際に夫婦仲も仲睦まじかったようだ。また結婚後も双方の親孝行をするなど、質素で好感の持てる夫婦として見られていたという。周囲からの評判もいい。南千住のアパートで暮らしていた2人だったが、大家は「美人の若奥さん。店子の中で一番良い夫婦」と事件後も手放しで褒めちぎっているほどだ。

 浴田由紀子も周囲の評判が良かった。山口県長門市の普通の家庭に生まれ育った浴田は高校卒業後、上京し北里大へ。在学中は交番に火炎瓶を投げたりビラを配るなどの活動をしたが、卒業後は生命会社に就職し、臨床検査技師として働いてしていた。そして私生活においては東アジア反日武装戦線メンバーの斉藤和(27、逮捕後青酸カリを飲んで自殺)と亀戸で同棲する。近所からは夫婦と思われており、ニコニコして挨拶をする気さくな人、ハイカラな若夫婦といった評判である。会社の信頼も厚かったようだ。

 そして、荒井まり子は宮城県古川市の出身だ。両親は教師で、3姉妹の次女として恵まれた家庭で育っている。そして控えめな努力家で成績優秀、真面目な学生だったと周囲は口を揃える存在だったようだ。高校卒業後、一度は法政大学に入学するも中退。その理由を周囲に「大学紛争がイヤになった」と語っていたという。だが、その一方で高校時代から全共闘シンパであり、大道寺に話を聞きに行ったことで接点を持つ。だが、武装闘争をやる決心がつかないまま事件前年の73年に故郷・仙台に戻った。その後、医療短大に入学し直し「保健婦として無医村で働くのが夢」という女性だった。事件後、周囲は「まさか、あり得ない」という反応だったことからも、地味で真面目な学生と見られていたようだ。しかし一方で、共に爆破事件で逮捕される佐々木規夫(26)と遠距離恋愛をしていたといわれる。まり子はメンバーではないが、事件に協力していたとして逮捕された際、部屋には爆弾の材料が大量に発見された。

『検証 学生運動―戦後史のなかの学生反乱〈上〉』
政治と混乱の時代
アクセスランキング