『スタッキング可能』ブックレビュー

『スタッキング可能』で描かれた、自己防衛とディスコミの果ての“武装”

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『スタッキング可能』(松田青子、河
出書房新社)

「なんで私このシュールに巻き込まれてるんだろう。なんで私このシュールの一部なんだろう」

 会社で働く、ということは、年齢も育った環境も価値観も全く違う人々が、同じ場所で目的を共にすること。そもそもシュールな状況だ。どんなに仕事に慣れ、社内でしか通じない暗黙のルールや「オフィスカジュアル」という微妙なドレスコードに馴染んでも、同僚や上司と話が通じない時、ふと自分を俯瞰した時、どうしようもなく感じる「社会人コスプレ」のような違和感。それは、何年たっても、どの会社に入ったとしても逃れられないものかもしれない。

 とある都心のオフィスビルを舞台に、仕事“以外”の会話と、心の内だけで語られる独白で構成された小説『スタッキング可能』(松田青子、河出書房新社)は、わかりやすい起承転結やストーリーがあるわけではない。しかしそこには、会社で働く誰もが直面する、社会人が抱えがちな違和感が濃縮されている。

 同僚女性をランク付けして、「自分に愛想が悪い女=レズビアン」と分類する男性A。内心それを面倒くさいと思いつつ、断るのもまた面倒でAの話に付き合うB。男性社員から名前に「ちゃん」を付けて呼ばれ、“天然”扱いされることが疎ましいC……。

 フロアごとに繰り広げられる、会社という場所で起こりがちな男女間のコミュニケーションのずれ。セクハラにならないように気を使ったつもりが逆効果だったり、男ウケするファッションで同性から誤解を受けたり。よくあるシチュエーションに直面した「私」や「俺」の独白が、フロアごとにいくつも積み重なることでデフォルメされ、おかしな混声合唱のように響き合う。

 そこで浮かび上がるのは、長い時間を共にしているのに、必要以上に相手とコミュニケーションをとらなくても人間関係が成り立つ、「会社」という場所の特殊さだ。表面上は穏やかでも、誤解とすれ違いが生まれ続ける、はたから見ると笑える不毛な状況。そして、その不条理に気づくのは、大抵自分が損をしたり、少数派の立場に置かれている時だ。『スタッキング可能』は、全編にわたって“割を食っている少数派”の立場から、その不条理に、ひたすらキレのいいツッコミを入れ続ける。

 本作での多数派vs少数派のすれ違いは、男女間に限らない。学生時代に父を亡くしたAは、「両親がどちらも健康で存在する家庭が普通」という前提の価値観を押し付けてくる人に傷つき、苛立つ。しかし一方で、自分が「女らしい服を着ない同僚女性は女じゃない」という前提の発言で、周りを苛立たせていることには気づかない。

 決して「完全に多数派の立場の人」が存在するわけではなく、1人の登場人物の中に、マジョリティーな部分もマイノリティーな部分も共存している。自分が不条理な目に遭っていることには敏感でも、自分が無頓着に人を傷つけることに気づくのは、おそらく不可能だ。それは、私たち一人ひとりの姿でもある。

 何が多数派で、何が少数派かは、目まぐるしく変わっていく。会話の中に頻繁に登場する、エコバッグやタンブラー、Facebook。「定番です」というような顔をして居座っているが、ここ数年で急速に普及した物たちだ。同じように、「会社では男女平等に扱うべき」という考え方だって、広く定着したのはここ10~20年ほどの間だろう。今、私たちが常識だと思って疑わないものも、10年後、20年後も続く普遍的な考え方とは限らない。「正しい」と思う人が多ければ、価値観は入れ替わり可能だ。

 登場人物はそれぞれ自分なりの方法で、多数派から感じる違和感に抵抗する。かわいい服やメークで自分を飾ったり、人との会話をミステリーの世界に変換したり、仕事の苦境を少年ジャンプに置き換えたり、はた目には伝わらなくても、それぞれの“武装”手段で戦い続ける。それが自分一人だったとしても、「おかしい」と思い続けることがどこかで積み重なって、いつか常識が変わっていくのかもしれない。日本中の会社という会社で、何人もの私たちが、なんでもない顔をして働きながら、日々そんな小さな戦いを続けている。『スタッキング可能』は、そのことに気づかせてくれるのだ。
(保田夏子)

登場人物のどれもが自分と代替可能

しぃちゃん

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