「タレント本という名の経典」

男の「下に見てもいい」欲を満たす、女子アナ・中野美奈子の“ニブさ”

2013/04/06 19:00

 しかし、アナウンサーとしての資質と“女子アナ”としての価値はまったく別のものである。ミス慶応という肩書とあの愛くるしい笑顔。中野は入社わずか半年後に『めざましテレビ』(フジテレビ系)のレギュラーを獲得する。原稿を読むのが下手なことは、周囲もある程度予想していただろうが、中野の不出来は想像以上で、プロデューサーから怒鳴られ、ニュース読みを外される。読者としては、「中野はこのアナウンサー人生のピンチをどう乗り越えたのか」と期待が高まるが、その克服過程は一切書かれていない。それは省いたというより、「特に何もしなかった」というふうに思えて仕方がない。

 窮地に立たされた中野は、先輩の小島奈津子アナから「誰とも比べなくていい、真似しなくていい、中野が元祖になればいいよ」という手紙をもらう。 小島アナは「自分を磨いて元祖になれ」と言いたかったと思われるが、中野はここでいう「なる」を、「become」ではなく「ただそこに存在すればいい」という意味である「be」と解釈し、アナウンス技術が上がらない問題を「背伸びしない」という抽象的な結論で締めくくってしまったのである。

 中野が放棄した“努力”――それは、女の最大の道楽である。

 全然勉強してないと言いながら徹夜で勉強していたり、マラソン大会で一緒に走ろうねと言ってもその約束が守られた試しがなかったり……女の世界には独特の裏切りが存在する。こんな負けず嫌いの女たちを支えるのは、努力すれば変わることができるという「努力教」の存在である。現代女性のほとんどが努力教の信者であり、日本で一番難しい就職試験をくぐり抜けた女子アナも、もちろん努力教の幹部かつ広告塔である。しかし、努力教の女たちは、こっそりと努力する。社会で権力を握る男たちは、髪を振り乱してがつがつ頑張る女が嫌いであり、さらに努力がライバルにバレると出し抜かれる可能性が高くなるからだ。

 しかし、中野は違う。おそらく育ちのなせるわざだろうが、言葉の深読みをしないし、努力を隠すような器用さを持たない。この希少性が吉と出た。あのビジュアルにアナウンス技術と調整能力がプラスされれば無敵だが、努力教の信者でない中野はそれを目指さない。努力しない中野は先輩女子アナにとって脅威でなく、故に可愛がられる。先輩・高島彩アナは中野の魅力について以下のように語ったという。

「天真爛漫なところ。(以下略)もし男性だったら、彼女にしたいタイプです」

 「彼女にしたい」とは、それくらい可愛いという比喩表現だが、そこには中野は別次元の存在、つまり同等と見ていないという侮蔑のニュアンスも含まれている。しかし、例によって深読みをしない中野は「素直に嬉しい」と語っている。メインは任せられない、でも男性視聴者のためには番組に出したいというキャスティング側の政治的判断と、自分を出し抜くことはないから安心という女の思惑が一致し、中野は引っ張りだこの存在となる。つまり、努力しないが故に、中野は人気者になったのである。

『ミナモトノミナモト。』
女子アナはなぜ手紙を書きたがるのか?
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