[連載]悪女の履歴書

銀幕スターとの生活で膨らむ優越感……「高島家長男殺害」の少女

2013/03/30 19:00
Photo by mrhayata from Flickr

 世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。

[第11回]
高島忠夫長男殺害事件

 2011年から12年にかけての芸能ニュース大トピックスの1つだったのが、俳優の高嶋政伸・美元夫妻のドロ沼離婚劇だ。「俳優生活を投げ打ってでも」離婚したい夫と「離婚する理由がない」と離婚を断固拒否する妻は、メディアを巻き込んでドロ沼の離婚裁判劇を演じた。

 父は俳優の高島忠夫、母は元宝塚の寿美花代、兄も俳優の高嶋政宏という華麗な芸能一家に巻き起こった次男坊の離婚騒動――。しかし、政伸は正確には高島家の“次男”ではない。政宏と政伸の兄弟には、昭和39年に誕生した“兄”が存在したのだ。本来なら高島家の“長男”となるはずだった、そして高島夫妻にとっては待望の最初の赤ちゃん。名前を道夫というその長男は生後5カ月で亡くなった。しかも自宅の浴槽に沈められて殺害されたのである。

■犯行動機は「看護婦に対する嫉妬と反感」

 東宝の銀幕スターだった忠夫とタカラジェンヌの花代というビッグカップルは、昭和38年に結婚した。新婚旅行は当時としても珍しい世界一周旅行。世間は憧憬と好意をもって2人を祝福した。当時から夫婦仲は良く、翌年3月には待望の長男・道夫も授かった。カラーテレビが普及しはじめ、東京オリンピックの聖火リレーに世間が熱狂した時代である。同年10月には新幹線の開通を控え、高度経済の好景気と同時に、コレラ発生が世間を騒がせていた。

 そんな昭和39年8月24日未明、事件は起きた。当時、高島家には2人のお手伝いと看護婦1人の計3人の女性が住み込みで働いていた。高島家の親戚筋にあたる69歳の女性と、花代の知り合いのツテで雇われた17歳の美恵(仮名)、そして道夫の世話係りの29歳の看護婦・佳子(仮名)だった。

 深夜2時半、お手伝いの美恵が「道夫ちゃんがいない。男の人影を窓越しに見た。強盗だ」と騒ぎ始めた。当時、道夫は1階で看護婦の佳子と添い寝していたはずだったが姿がない。鍵をかけたはずのドアも開いていた。2階で寝ていた高島夫妻も1階に降りてきて、忠夫は鉄棒を持って庭に飛び出した。だが、全員で家中を探したが道夫も犯人も見つからない。花代は念のためにと思い浴槽のフタを外して覗いてみることにした。そこには、口から泡をふき変わり果てた道夫がいたのだった。ヘタリ込んでしまった花代に代わり、忠夫は息子を抱きかかえパジャマ姿のまま近所の病院に駆け込む。だが時既に遅し。高島家の長男・道夫は生後5カ月という余りにも短い命の幕を閉じたのだ。

 通報を受けた警察は家族を事情聴取するうち、すぐさま美恵を疑うようになる。美恵は「不審な男を見た」「道夫ちゃんの泣き声を聞いた」と証言したが、ほかの家人は誰も見ていないし聞いていない。家には不審者に吠え立てる犬がいたが、犬は吠えてもいない。外部から侵入の形跡もない。風呂の湯は美恵が落とす決まりになっていたが、当日はしていなかったなど多くの不審点があったため、警察は美恵を追及、24日正午過ぎ自供に至ったのだ。

 スピード解決ではあったが、美恵の供述は驚くべきものでもあった。犯行動機は「道夫ちゃんを世話する看護婦に対する嫉妬と反感」という何とも信じ難いものだったからだ。

『高島忠夫の坊ぼん罷り通る』
一度芽生えた優越感は肥えるばかり
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