「タレント本という名の経典」

長谷川理恵の「自分磨き」と「スピリチュアル」から暴く、“何様”感の正体

2013/02/24 16:00
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『女性としての私』/ポプラ社

――タレント本。それは教祖というべきタレントと信者(=ファン)をつなぐ“経典”。その中にはどんな教えが書かれ、ファンは何に心酔していくのか。そこから、現代の縮図が見えてくる……。

 結婚や出産は女性の転機の1つといえるが、芸能界において、特に好感度の高くないタレントにとって、出産は絶好のイメージチェンジである。有名俳優との別離宣言後、あまりに早い一般人とのできちゃった結婚、贈られたダイヤが小さいとゴネて、世間にバッシングされた長谷川理恵にとって、昨年の出産は“聖なる存在”である母へシフトする絶好のチャンスだろう。

「ずっとひとりだった私が、愛する家族と生きて行くことに決めた理由」

 長谷川の新著『女性としての私』(ポプラ社)のコピーは、生まれ変わった長谷川を予想させる。長谷川が、結婚生活や出産を通して、どのように「女性として」成長したのか。さぞ感動的な結婚・出産秘話が盛り込まれているに違いないと期待が高まるが、何度読んでも、それらしきエピソードには出会えない。

 本書の内容は、オーガニック礼賛、食育、マラソン、読書(風呂の中で自己啓発書を年間300冊読破)、将来のビジネスビジョン(スポーツカフェや子どもと母親用のジムを作りたい、結婚式のプロデュースがしたい)が、スピリチュアル的な思想を交えて書かれており、過去の出版物のダイジェスト版といってもよい。

 もちろん夫や子どもも登場するが、突出したエピソードはない。「妊娠八カ月の体にさらしを巻いて走った」とか、「栄養面ではハナマル妊婦だった」とか、ここでもマラソンと食育ネタで、話の主語は常に自分である。特徴的なのは、本書内で長谷川が「学び」という言葉を繰り返し使っていることである。栄養学や自己啓発本はもちろん、夫とのケンカで「人生を学び」、子どもから無償の愛を「学んで」いるらしい。

 「学ぶ」ことの重要性を長谷川に気づかせたきっかけは、「挫折」だった。「CanCam」(小学館)でトップモデルだった長谷川が、「Oggi」(同)へ移籍直後、出番が激減するという憂き目に遭う。ただの痩せすぎでない、年相応の女性らしい体が求められていることを知った長谷川は、屈辱をバネに栄養学と体づくりを学び始める。負けず嫌いな性格が効を奏し、徹底的に体を鍛えた結果、表紙モデルに抜擢された。夜遊びもせずに黙々と努力を続けたこの期間を、長谷川は「自分を磨く時間」と名付けている。

 そして、長谷川は人生最大の自分磨きである「マラソン」に出会う。「目標を掲げ、どれほど苦しくても投げ出さずに努力すれば叶えられるのだ」「やりぬいた!私にもできた!その気持ちが一気にあふれだして、子供のようにわあわあ泣いてしまった」「生まれてからこの日まで、こんな達成感は味わったことはなかった」と、感情を表に出さない長谷川にしては珍しく、熱っぽい言葉でその魅力を語り、「私の人生の転機はマラソンだ」と断言する。繰り返しになるが、夫と子どもに関してそのような熱っぽい記述は一切見られない。

 一般人においても、特に婚活を機に自分磨きを始める女性は多い。しかし、努力が実を結ぶこともあるが、傍から見て、迷走しているようにしか見えない人がいることも事実である。それでは、自分磨きの落とし穴とは一体何なのだろうか?

 自分磨きに勤しむ女性の特徴は、2つに分けられる。1つ目は「他人に鈍感」な「理恵型」である。「理恵型」の女性に、マラソンが果たす役割は大きい。なぜならマラソンは「1人でする」ものだからである。成功も失敗も自分のものであるが故に、自分のことしか考えない。ランナーズハイも厄介である。これは一種の防御反応で、肉体が疲労すると生命維持のために脳が麻薬を分泌して、多幸感を感じさせることらしいが、1人でトレーニングして、1人でハッピーになれば、ますます「他人がいらない」体質になってしまう。距離やタイムといった目に見えるものが指標だからか、マラソン好きは「人」より「結果」に固執する傾向がある。

 前作『願力 愛を叶える心』(マガジンハウス)において、長谷川は「私ってなんでこんなに願いが叶うんだろう」と述べている。恋愛スキャンダルで芸能界を生き抜いてきた長谷川の人生が、そう成功に満ちているとは思えないが、条件面だけで考えるのなら、確かに長谷川の人生は願いどおりだ。前作の中で、石田純一と交際中、婚約指輪はハリー・ウィンストン、結婚式はナパバレーのワイナリーがいいと書いていたが、今回の結婚で、現夫からハリーの指輪をもらい、ナパバレーではないが、ポートランドのワイナリーで挙式している。子どもがほしいと思えば、すぐに妊娠する。愛する人とめぐり会って結婚し、その結果、子どもを授かるというのが、多数派の結婚観だと思われるが、長谷川は違う。自分がしたい時に、したいように(ワイナリーでの結婚式)、ほしい物(指輪、子ども)を与えてくれる人が、自分にふさわしい結婚相手であって、実は相手の人格に興味はないのである。

 自分磨き大好きな女性の特徴2つ目は、1つ目と反対で「他人に敏感」なことである。このパターンの代表例が、長谷川と同じく元「CanCam」モデルで、「趣味は女磨き」「風水、スピリチュアル大好き」を豪語する藤原紀香である。

 「紀香型」の女性は、「他人に評価(褒め言葉)を強要する」特徴がある。紀香は『藤原主義』(幻冬舎)において、「親の前でもみんなの前でもいい子でいたい」性格であることを、友人の俳優に指摘されたと書いているが、いい子である証しに褒め言葉がほしいのである。格下芸人との結婚式で見せた笑顔は「相手の収入なんか気にしない、心のきれいな私を褒めて」という褒め言葉強要の集大成である。近年、紀香はチャリティ活動に熱心だ。その功績が認められ、皇后陛下にお言葉を賜る機会があったが、この時に頭の上に載せた小さな帽子は、完全に美智子様のパクリであった。結婚式の衣装が十二単であったことからもわかる通り、紀香は「ロイヤルごっこ」をしたいだけで、チャリティに関心があるわけではないように思う。

 両者のスピリチュアルに向き合う方法も、自分磨きの欠点そのままである。長谷川にとって、スピリチュアルは自分を正当化する道具だ。「赤ちゃんは親とタイミングを選んでやってくる」と繰り返して書くのは、裏を返せば、俳優との破局後、あまりに早い妊娠へのバッシングに対する「反論」である。神様が授けたんだから、文句言わないでよねと言いたいのだ。対する紀香はパワーストーンや盛り塩、神社詣でなどに、滑稽なほどのハマりぶりだが、その狙いは神様に褒められることにある。自分磨きの最大の欠点は、潜在的自己愛が恐竜並みに巨大化することだが、どちら型にしても、やればやるほど「何様」と失笑されるのがオチである。

 長谷川は、かつてのブランド品漁りを、バブル的だったと恥ずかしく思っていると述べている。しかし、現在傾倒している「オーガニック」も、その理念は別として、価格の高さや希少性という観点からいうと、バブルとそう遠くない。結局、長谷川はいまだバブルなのである。長谷川の職業は、モデル、ベジフルティーチャーであるが、ここにバブルの最高権威指導者として「家元」という肩書を付け加えるのはどうだろう。「愛さえあれば多少貧乏でも構わない」と思う気持ちが女の正統的な欲求だとすれば、「男に金を使われたい、金をくれる男が最高」というバブルな欲求もまた、黒い正統派として不滅なのである。
(仁科友里)

最終更新:2019/05/17 20:56
『女性としての私』
夫を吐血させた女の新刊です
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