『うつまま日記』レビュー

他人だから理解の努力をする――『うつまま日記。』が掴んだ家族の核心

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『うつまま日記。』(コンボ)

 起床は7時。授乳を済ませておむつを替え、そして赤ちゃんの顔を拭く。「顔を拭くことで赤ちゃんが朝だと気づくんですよ」と育児雑誌に書いてあったから。機嫌よく遊んでいる間に洗濯機に洗濯物を詰め込み、大人たちの朝ごはんの支度。食べようと思った途端に泣き出すわが子。冷めた味噌汁をかきこんで、さあ掃除。それまでは5日に一度、ガーッと掃除機かける程度だったのに。だって赤ちゃんに埃はよくないと、これまた育児雑誌にあったから。「外気に触れることで赤ちゃんは丈夫な体に……」ということで張り切ってお散歩、買い物、たそがれ泣きが激しいので、おんぶをしたまま夕飯作り。お風呂、ベビーマッサージ、あぁ耳掃除も爪切りもしないと。異常なテンションのまま「お母さん」の1日は過ぎていく。

 思えば母親業、特に子どもが小さいうちの母親という役割は、自分じゃない自分になりきらなければこなせないものだった。この頃の私にとって「お母さん」とは無意識なる“躁”状態で、当時のことを思い出そうとしても記憶がだいぶ抜け落ちている。もし、あの時なんらかのタイミングで張りつめたテンションが切れ、心が急降下していたら……その可能性は十分にあっただろう。私はかなり“完璧な母親”という幻影に支配されていた。

 『うつまま日記。』(コンボ)は原作、作画、編集に携わった3人の女性が全員精神疾患を抱えているという「世界初の」育児コミックである。それぞれが体調と相談しながら、構想から約3年かけて出来上がった。うつ病の女性が妊娠、出産を経験したことで病気を克服し立派な母親として……というようなサクセスストーリーではもちろんない。『うつまま日記。』に描かれているのは、思うように家事や育児をこなすことが出来ず、抜け出せない布団の中でそんな自分を嘆き、呪い、泣き暮れる、そんなお母さんだ。

 表紙には自称「布団の虫」(布団から顔だけ出ている状態)のうつままと、イライラ歯ぎしりしているパパ、自分の頭をポコポコと殴っている息子。この表紙が『うつまま日記。』のすべてを物語っている。うつ病を理解できないパパは、掃除もしない食事も作らない妻にイライラを募らせる。幼い頃から不安定な母親を間近に見てきた息子は、恐ろしく自己評価が低く表情に乏しい。「何日洗濯してないんだ。これ以上家事をやらなかったら離婚だからな」「ボクさえいなければかーさんはぐーたらずーっと寝ていられる、ボクがいなかったらかーさん楽でしょ」と、2人は容赦なくうつままを責める。

 「うつ病に対する理解が足りない」。うつままの家族をそんなふうに非難する人もいるかもしれない。うつ病が「病気」として認知された現在、「頑張って、と言ってはいけない」「病気のことを責めてはいけない」などの情報は一般化されている。しかし、うつ病でもない人がうつ病を本当に理解することなど果たしてできるのだろうか。うつままの夫も子どもも、決してうつ病を「わかったふり」しないのである。それがどんなにうつままを励ましたことだろう。

 なぜなら、うつままは単なるうつ病患者ではなく、「母親」だからだ。うつ病患者に対する接し方のセオリーなどおかまいなく、家族たちがうつままに対して「母親」を求め続けること、それは何より家族がうつままを「あきらめていない」ということだ。表面的な優しさで取り繕うのではなく、わからないものに対して体ごとぶつかろうとする葛藤がある。うつままにとって「母親である」という自覚は一見、さらなる重荷に見えるようで、実は自分と社会をつなぐ唯一の生命線だったのではないだろうか。

 家族は「うつ病への理解」という名のもとに、その手段を無自覚に断ち切るようなことをしなかった。普段からうつままに「逃げるな」と厳しく接する夫が、「お前のかーさんは普通ではない。普通のかーさんを求めるな。お前のかーさんはビョーキなんだ」と息子に諭すシーンがある。息子は泣きながらそれを黙って聞いている。『うつまま日記。』は、「家族だから100%わかり合える」「子どものためなら母親はなんだってできる」という家族神話、母性神話にまったく依拠しない。家族は他人であり、だからこそわかろうとする努力が必要だということを、この家族は伝えてくれているように思う。

息子「なんだよクソババア」
うつまま「かーさんに向かってそんな口きくの!! かーさんはそんな子に育てたおぼえはありません」
父「ムスコをそこまで育てたのはオレ様だぞ」
うつまま「そーでした」

 情緒が不安定で布団の虫のうつままが、いつしか家族の“安定剤”的なポジションへと変わっていく。それは「うつままを支えなきゃ!」という義務感からくる一致団結ではなく、家族のそれぞれが自分の置かれた状況を受け入れた結果の“あるべき形”。うつまま、夫、息子、この家族だけの“あるべき形”だ。お母さんが優しい笑顔を振りまかなくても、家族として機能していることに今度は読者が励まされる。なぜなら、私たちはみんな“うつまま”だから。完璧な母親、完璧な父親、完璧な子ども……私たちの中に“完璧な家族”という幻影がある限り、そうなれない自分たちを責めてしまう。『うつまま日記。』は精神疾患を抱えた母親やその家族へのメッセージのみならず、フツーと言われる家族に潜む問題の解決策も提示している。家族は他人だ。だけど一緒にいる。だって家族だから。うつままとその家族がたどり着いたそのシンプルな答えに、心を揺さぶられる。
(西澤千央)

『うつまま日記。』
原作:まつもとあけみ、漫画:佑実
鬱病を抱えながらの子育てや夫との確執、子どもの自己否定、薬との付き合い方などを赤裸々に、そしてコミカルに表現した育児コミック。

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