介護をめぐる親子・家族模様【第1話】

「廃人になっても家にいられるよりはマシ」父との食事が苦痛となった


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 誰にでも平等に訪れるもの、「老い」。そして自分の老いより先に、必ずやってくるのが親の老いです。いつかくる介護という現実に向け準備をしても、いざ現実となった時、感情面での葛藤を乘り越えられるのか――。今回からは、「突撃・隣の愛憎劇」とも言える介護をめぐる人間模様をお送りします。共感するのも、この家よりはまだマシと安心するのも自由。でもいずれは自分も辿る道、であることだけはお忘れなきよう。

<登場人物プロフィール>
林 恵美(45) 夫と2人の娘の4人家族。中国地方在住。大阪に弟がいる。
坂井 秀雄(81) 林恵美の実父


■予想外の母の急死

 林恵美さんにとって、父親は常に母親を通してコミュニケーションを取る存在だった。好きか嫌いかで言えば、まあ嫌いではないと言ったところか。思春期に特別父親と争うこともなく過ごせたのも、常に明るく家族をまとめてきた母がいたからだったと思う。

「周囲に母のことを嫌っている人はおそらく1人もいなかったんじゃないかと思います。本当に誰からも好かれる人。自慢の母でした」

 父は自営業だったが、卸業で店も構えていなかったので小規模な商いだった。それでも仕事は順調だった。母は専業主婦。といっても取引先からの電話も掛かってくるし、お昼には父親が食事を摂りに必ず家に帰ってくるから、自由に家を空けることはできない。母親はよく自分のことを「私はカゴの中の鳥や」と言っていたが、それほど窮屈な生活ではなかったと思う。母は、一回りも年上の父のことを大切にしていたし、昔の人らしく上手に父親を立てていた。

「そういうところも含めて、すべて母は大きな人だったと思います。父も偉そうにしていたけれど、実際母がいないと何にもできない人でした。私たちから見ても、本当に仲のいい両親でした」。

 父親はあまり身体が丈夫でなく、持病もあった。商売で酷使した足も年と共に急に衰えていた。一方、母親は病気ひとつしたことがない健康体。

「私も両親も、口に出したことはなかったけれど、いずれ父が先に逝くのは間違いないと思っていました。父も自分が亡くなった後、母が金銭的に苦労しないように、財産はほとんど母名義にしていたほど……それを知ったのは、皮肉にも母が亡くなってからですが」

 そう。誰も予想もしていなかったことが起きた。母親が父親より先に亡くなってしまったのだ。それも急に。

 母親が妙な咳をしていることに気づいた林さん。母を連れていった病院で下された診断は、末期の肺がんだった。余命はあと半年という残酷な宣告。がんの進行は予想以上に早かった。

「弟もいたのですが、大阪で仕事をしていて、そう頻繁には帰ってこれません。私は実家から車で1時間ほどのところに嫁いでいましたが、子どもは受験生で、家事をしながら母の病院に通い、父の面倒まで見るのはとても無理でした。それで父も持病の治療という名目で、母と一緒に入院させてもらいました」

 母親は林さんたちにいい思い出だけを残して、あっさりと逝ってしまった。がんと診断されて、8カ月後だった。

「父が先に逝くだろうから、その後はゆっくり2人でおいしいものを食べたり、旅行したりしようと思っていたのですが、まさか母がこんなに早く逝ってしまうとは。『カゴの鳥』だった母を、もっと早くカゴの外に出してあげればよかった」

 母の病気がわかってからは、できる限りのことはしたと思っている林さんだが、それでも後悔ばかりだったという。「正直な話、父と逆ならよかったのに、とさえ思いました」。

■父親と食事ができない

 父親は気丈に喪主を務め、母を見送ったという。「よくがんばったと思います。でもそれが限界だったのでしょう」。母親が亡くなったので、父親は病院から退院を促されたが、一人暮らしはとても無理。なにしろ、母が父親の身の回りのことはすべてやっていたから、父親は仕事以外のことは何もできなかったのだ。

「母という手足をもがれた父は、赤ん坊みたいなものでした」

 林さんは弟に、「親が生きているうちは、面倒は私が見る」と宣言した。弟がいくら長男だといっても、大学時代に家を出て、そこで仕事も家庭も持っている。弟の妻に父の介護を任せることは考えられなかった。林さんの夫は次男。両親も亡くなっていたので、林さんが父を引き取るのがどう考えてもベストだと思った。

「母に親孝行できなかった分、父にはできるだけのことをしようと思いました。血の繋がった娘だから、母の代わりにはなれなくても、一緒に暮らすのは簡単だろうと考えていたのです」

 しかし、現実はそんなに簡単なことではなかった。林さんの気持ちは急激に萎えていくことになる。

「何でもしてあげていた母をはじめて恨みましたよ。食卓につけば、料理は並べられていて、箸を置けば片づけられる。父にとっては、それが当然なんです。目薬ひとつ、自分ではさせないんですから。父はすべてに介助が必要なわけではありませんでした。でも環境も変わったし、夜は危ないからと、ポータブルトイレに用を足すようにさせていたのですが……」

まずその処理が耐えられなくなった。

「朝起きると、ああ今朝も一番の仕事が父のおしっこを処理することだ、と思うと、起きられないんです。いったん嫌とか気持ち悪いという思いが湧いてしまうと、後はもう雪だるま式です。朝は私も忙しいから、朝食は別にとっていたので、昼食は2人で一緒にとるようにしていたんですが、それが受け付けられなくなってしまいました。父と一緒に食事をすると思うと、食欲がなくなるんです。老人が物を食べる動作や音にたまらない嫌悪感を感じる。いくらなんでもそれでは娘として失格だと思い、気持ちを押し殺して無理やり一緒に食事をしていると、今度は吐き気がして食べられなくなりました」

 とうとう、昼食も父だけ先に済ませてもらうようにした。「子どもたちは、おじいちゃんが好きだったので、学校から帰ってくると顔を見に行って、いろんな話をしていました。それが救いでしたね。それに子どもたちと一緒なら、夕食は父がいても普通に食べることができるんです」。

 しかし、また翌朝は起きられないという毎日。さすがにこれでは参ってしまうと思った林さん。「ショートステイに預けてはどうかと、ケアマネージャーさんに提案されました。だんだん私の表情がなくなっていくのを心配してくれたようです」。最初はあまり乗り気ではなかった父親も、ケアマネージャーさんがうまく説得してくれて、ショートステイを受け入れてくれた。

「心から助かったと思いました。父がいない1週間は、天国でした。朝起きても、汚物処理しなくていい。1人で食べるお昼ごはんは、それはおいしかった。父には悪いと思いましたが、これほどまでに父の存在が負担になっていたことを改めて感じました」

 しかし、1週間のショートステイを終えて戻ってきた父親の様子は一変していた。

「介護が必要とは言っても、頭はクリアだったんですが、帰ってきた父は別人になっていました。視線が定まっていないんです。どこか宙をさまよっている感じ。老人が入院するとボケてしまう、ってよく言いますよね。まさに父がその状態でした」

 ショートステイの1週間リフレッシュした林さんは、今度は1週間かけて父親を“元に戻す”ことになった。

「みんなで話しかけて、食事も一緒にして……不思議ですが、その時は吐き気もしませんでした。とにかく正気に戻そうと必死でした。ショートステイに預けたことを、姥捨て山に親を捨てたような罪悪感でいっぱいになりました。それだけに、父を元の状態に戻さないといけないと思ったんです」

 林さんの努力の甲斐あって、父親は家に戻って1週間もすると“正気に”戻ったという。「父も、ショートステイ中のことはあまり覚えていないようでした。それは私にとってはラッキー。だってもう行きたくないと言われたら、また預けるわけにもいかないですからね」。

 そう。林さんは1週間かけて“正気に”戻した父親を、またショートステイに預けたのだ。

「例えまた廃人のようになって戻ってくるとしても、それでもずっと家にいられるよりはマシですよ。父より自分の精神状態を保つことの方が大事。それに、父のためにも私が倒れるわけにはいかないじゃないですか」

 1週間ずつ、家と施設を交互に行き来する。これで林さん父娘の介護問題は一見落着、と思われた。ところがそれで終わらないのが、介護の現実だった。2回目のショートステイに行った父親は、その夜、歯磨きをしようとしたのか、顔を洗おうとしたのか、洗面所に歩きだしたところで、何かにつまずいて転んでしまったのだ。運の悪いことに、頭から倒れた先にあったのは、陶器製の洗面台。簡易型の洗面台はもろく、凶器に変わった。深夜、林さんに入った電話は、父親が搬送された救急病院からだった。林さんが駆け付けた時、すでに父親の意識はなかった。

「……母親の一周忌に父親がいないなんて、さすがの私も考えていませんでした。あまりにいろんなことが続いて、実はどうやって病院に行って、お葬式を出したかさえ、よく覚えていないんですよね。施設の方からは、一応説明と謝罪はありました。でも、私も弟も施設の方を責めるつもりはありません。父が倒れたのは誰のせいでもない。母はこんなに早く父が来るとは思っていなかったとは思いますが、それでもまた再会できたことを喜んでいると思うんです。私も、母が亡くなった時は後悔してばかりでしたが、父の最期に関しては、自分でも驚くくらい何も後悔していないんですよ。やるだけのことはやったと思う。すっきりですよ。あえて言えば、娘の成人式の晴れ着を見せたかったな、ということくらいかな。これから家族でたくさん思い出を作ろうと思う。私たち家族が幸せに暮らしていれば、両親も一番喜んでくれると思いますから」

 そう言って、林さんは明るく笑った。

どうしたって愛せねぇババアもいる!

しぃちゃん

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