慶應義塾大学・ヒサヨ先生の「あの頃の少女たちへ」第4回

「ナプキンを振り回した男子を許せない」40代で読み返す女子校マンガ『櫻の園』

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『櫻の園』/白泉社

とおーいとおーい昔に、大好きだった少女マンガのことを覚えていますか。知らず知らずのうちに、あの頃の少女マンガが、大人になった私たちの価値観や行動に、影響を与えていることもあるのです。あの頃の少女たちと今の私たちはどうつながっているのか? 少女マンガを研究する慶應義塾大学の大串尚代先生と読み解いてみましょう!

<今回取り上げる作品>
吉田秋生『櫻の園』/「LaLa」(白泉社)掲載、1985~86年

 高校2年生までを共学で過ごした私が初めて「女子校」を体験したのは、高校3年生の時でした。親の転勤にともなって地方都市から東京に来た時に、初めて引越と転校、そして「女子校」を経験したのでした。

 「女子校」という空間は、まったくの未知の世界。しかも、私が転入した学校は小・中・高・短大まであり、その学校人生のほとんどを同じメンバーで過ごしている人たちも少なくないときた。すでに友人グループができ上がっているところに、高校生活最後の1年間だけ飛び込んでいくのは、もともと友達づくりが苦手な私には、相当な胆力が必要だったのでした。

 10代の女の子たちだけの空間とは、どんなものか。それは、居心地の悪さと心地よさとが同時にあるような場所でした。クラスメートのあけすけな元気の良さにあっけにとられ、その率直な大胆さについていけない時があると同時に、男子の目がない分だけ、どこか安心感もありました。私はというと、さすがに目立つ女の子たちのグループにはとても近づけませんでしたが、休み時間に教室の片隅で文庫本や同人誌を読んでいるような女の子たちとぽつぽつ話すようになってから、私の女子校生活が安定し始めたのを覚えています。

 ひとくくりに「女子高校生」といっても、いろんなタイプの女の子たちがいて、いろんな過ごし方を実践していました。あの学校で過ごす時間が長ければ、もっといろんな女の子と知り合えただろうし、この学校のことをもっと好きになっていたかもしれないと思えたのは、卒業式も近くなってのことでした。

 なんだか長々と自分の高校3年生の頃を思い出してしまったのは、今回取り上げる吉田秋生さんの『櫻の園』(白泉社)を久しぶりに読み直したからです。自分の高校時代の記憶がドバっと蘇るけれども、『櫻の園』については、何を話せばいいのか、少し戸惑っています。この余韻をどう説明すればいいのか……。吉田秋生さんの作品を読むと、たびたび「あなたはどう思うの?」と質問されるような感覚に襲われます。40歳をすぎた今、高校生活を離れて久しいのに、また高校生の頃の自分を突きつけられるような感じがするのです。

 チェーホフの『櫻の園』をモチーフにしながら、丘の上にある桜の木に囲まれた女子校で最終学年を迎える女の子たち。「花冷え」「花紅」「花酔い」「花嵐」という短編連作のようなこの作品は、早春から桜が散る頃にかけて、ぐるぐると揺れる気持ちに翻弄される思春期の女の子たちを描いています。自分のことが嫌いだったり、他人の目が気になったり、男の子との関係に悩んだり、あるいは女の子同士の関係に対峙したり、昔の切ない記憶を引きずっていたり。

 こう説明してしまうと、よくある「学園青春モノ」のように聞こえてしまいますが(たしかに学校が舞台の青春モノなのですが)、なかなか言葉だけでは表現しづらい心の機微が、女の子たちの心を映す桜の花とともに、流れるように描かれています。

 同じく吉田秋生さんの作品・男の子たちを主人公にした『河よりも長くゆるやかに』(小学館)にも通じる、どこにも持って行き場のない感情と向き合うつらさと、それをさりげなく和らげる仲間の存在。大人がほとんど登場しない(登場しても顔がみえないことが多い)、十代の女の子たちだけの空間。自由を求める気持ちと、その一歩を踏み出せない時間。

 『櫻の園』に登場する女の子たちは、それぞれに、いろんな思いを抱えています。例えば過去の出来事にずっとこだわったまま、10代を過ごす由布子。彼女は、最初に「性」を意識した初潮の頃、そのことを男子にからかわれた経験を忘れられません。

「だからあたし 一生 許さないの 彼がこれからどんなりっぱな人間になろうと あたしにとってはあの時のまま ナプキンふりまわしていたあの姿のままよ」

 由布子は、「しっかりした自分」というイメージにうんざりしながらも、それ以外の生き方を知らないし、どうやって抜け出せるかもわからない。男子にナプキンをふりまわされたことも、許すことができないのです。

 年をへると、例え自分が傷ついていたとしても、「仕方ない」というあきらめと共に、割り切って見て見ぬ振りをすることができるかもしれない。でも、その変な物わかりのよさのために、切り捨ててきた「想い」が、『櫻の園』にはつまっている。『櫻の園』を語ろうとする時、戸惑ってしまうのは、各話でクローズアップされる登場人物たちが流す涙に、自分自身を突き付けられるような「切なさ」があるからなのかもしれません。

 彼氏もおらず、優等生でもなく、男遊びもせず、ただのダサい女の子で、1年しか「女子校」を経験しなかった私ですが、『桜の園』を読むと、なんだかあの1年がとても大切な時間のように思えてくるのです。

 それぞれの高校時代――まだ自分が何者かもわからずに、でもこの先にきっとなにかあるだろうと期待するだけして、でも自分が嫌いだったり好きだったりして、恋も勉強も中途半端だった暗黒のような時代――も、少しだけいとおしい時間のように、思えるのではないでしょうか。

大串尚代(おおぐし・ひさよ)
1971年生まれ。慶應義塾大学文学部准教授。専門はアメリカ文学。ポール・ボウルズ、リディア・マリア・チャイルドらを中心に、ジェンダーやセクシュアリティの問題に取り組む。現在は、19世紀アメリカ女性作家の宗教的な思想系譜を研究中。また、「永遠性」「関係性」をキーワードに、70年代以降の日本の少女マンガ研究も行う。

「30分も並んでアイスクリーム買うような男、好きになれない」など女子高生の名台詞盛りだくさん

しぃちゃん

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