『古事記~いのちと勇気の湧く神話』著者インタビュー

古典に育児放棄の記述も! 「昔はよかったのに」という幻想を暴く

2012/10/16 11:45
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大塚ひかり氏

 「昔の母親は、こんなことはしなかったのに」。育児放棄・児童虐待事件が起きれば、どこからともなくこんな声が聞こえる。「昔の家族は」「昔の日本人は」……正体不明のこの“昔”は、現代に生きる私たちを断罪するのである。古典エッセイスト・大塚ひかり氏の『古事記~いのちと勇気の湧く神話』(中公新書ラクレ)では、“責任者不在”“世間体第一”といった現代が抱える問題の原点が、古代神話を材に描かれている。そこで今回は私たちを縛り続ける、「昔」幻想の正体を伺った。

――「昔は○○だったのに、今は……」とよく言われますが、この本を読むと、古代人も今と同じようなことで悩んだり怒ったりしていますよね。

大塚ひかり氏(以下、大塚) 「昔の母は育児放棄をしなかった」なんて大ウソです。古典の世界で育児放棄は“普通”にある。『日本霊異記』には、男遊びが好きなお母さんが乳飲み子を放置して飢えさせるという話が出てきます。少し前に、若い母親が子ども2人を置いて死なせてしまった事件がありましたよね。今が急に悪くなったわけじゃなく、昔から悪いんです。だから、それを想定した上で対策や解決の糸口を考えていかないといけないのに、「イマドキの母親は……」と言ったってしょうがないんですよ。

――現代では、母親には(育児をする)本能があるはずだと思われています。

大塚 当時の人々は、母性本能なんて信じていません。人でも動物でも、一定数の者は育児放棄するものだという前提です。

――現代のいわゆる「ベビーカー問題」に代表されるような、“周囲の目の厳しさ”に関してはどうでしょうか?

大塚 江戸初期の『苅萱』という古典には「夜泣きする子は七浦七里枯るる」というフレーズが出てきます。要は「夜泣きする子どもは出て行け」ということ。これは空海の母親の伝説なんですが、母は我が子を土に埋めてしまう。そこに居合わせたお坊さんが「これは夜泣きではない、お経だ」と言って助ける。当時から子育てする母親への風当たりは強かったし、それに追い詰められる母も多かったことがわかります。

――現代では母親自身が「理想のママ」像を作り上げ、自分で自分を追い詰める向きもあります。

大塚 今みたいな「理想のママ」という考えは、少なくとも平安時代にはありません。高貴な人ほど育児放棄をしてますから。『うつほ物語』にも、子どものオシッコが汚いから、育児は夫や乳母任せにする貴族が出てくる。それが非難の材料として書かれているのではなく、高貴な人の描写として出てくるんです。マイナスとは思われていない。また兄弟仲良くという考えも『古事記』にはなくて、親が兄弟を平等にかわいがるという考えもない。そういう縛り自体がないんです。

――その縛りは、仏教や儒教の影響を受けてから?

大塚 だと思います。『古事記』の時代は仏教が伝来していたといっても、まだ生活には根差していません。儒教道徳は江戸時代になってやっと定着する感じですね。あくまでも後から来たモラルであって、人間が本能として子どもを平等に愛するわけではない。それがわかっていれば、いざという時に第三者の力を借りることができるじゃないですか。母親が「愛せない」と「愛さなきゃ」の間でもがき苦しんで、我が子に悪影響が及ぶくらいなら、その方がよっぽどいいですよね。

――お話を伺っていると、現代人が「昔はこうだった、昔はよかった」と言うことで、互いに思考停止に陥っていることがよくわかります。“昔”って一体いつなの? と問いたくなりますね。

大塚 普通の人は、多分百年前のことだってちゃんとはわかってないですよ。きっと3つくらいの例で「昔は○○だった」って言ってるだけ。私は昭和40年代に小学生でしたけど、お仕置きとしてご飯を食べさせないで外に出される子どももいましたし、学校の先生もビンタは当たり前でした。そんなこと今なら大問題ですよね。当時は「栃木実父殺し事件」があり、父親が娘を犯し、子どもを何人も産ませてた。性的虐待は今よりずっと多かったと思います。セクハラだって昔は言葉がなかっただけで、百歩譲っても現代と同じか、もっとひどかったはず。“昔”は決してユートピアじゃないんです。

――なぜ“昔”を理想化してしまうのでしょうか?

大塚 人間は悲しいかな、年を取れば悪いことは忘れ、いい思い出だけが残りがち。エジプトのパピルスにも「昔はよかった」って書かれてたと聞きます。何千年も前から人は「昔は」とか「今の若者は」とか言ってたんですよ。「昔は」と攻撃してくる人も、かつてはもっとヒドイ攻撃を受けていた。世の中が急に意地悪になったんじゃなくて、昔からずっと意地悪なんです。「夜泣きする子は七浦七里枯るる」のような、乳児持ちの母に出て行けと迫る意地悪なご近所は、ずっとあるんです。

――古典を現代に照らし合わせると、本当に納得することが多いですね。

大塚 古事記のすばらしいところは、決してお説教じみてないところ。事実として淡々と書かれているから、受け取る側が「あぁそうか」と腑に落ちるんです。ダメな母親も意地悪なご近所も、『古事記』の時代からずっと続いています。ただ『古事記』には子を捨てる親がいる一方で、泣いてる捨て子に名前をつける人もいる。今よりずっと過酷な世界の中で、それでもなんとか「生きよう」とした人間たちの息吹が、読み手に強いバイタリティを与えてくれるんだと思います。
(インタビュー・文=西澤千央)

大塚ひかり
1961年、神奈川生まれ。早稲田大学で日本史学を専攻。古典にまつわる独自の解釈でエッセイを執筆。主な著書に『ブス論』『源氏物語』全訳六巻『愛とまぐはひの古事記』『女嫌いの平家物語』(ちくま文庫)など。

最終更新:2012/10/16 11:45
『古事記~いのちと勇気の湧く神話』(中公新書ラクレ)
イザナギ・イザナミ夫婦の上にいる“何者か”によって日本が生まれたという「責任者不在」の原点、双子の兄を殺し父に疎まれたヤマトタケルノ命に見る「親子のすれ違い」の原点、容姿を理由に嫁ぎ先から返されウワサされることにおびえて自殺した王女にみる「世間体」の原点。日本人のさまざまな価値観の原点をひもとき、軽妙に解説している。
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