[官能小説レビュー]

幸せにはなりえない“不倫”という恋愛に『浪漫的恋愛』が見出した微かな光

2012/10/01 19:00
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『浪漫的恋愛』/新潮文庫

■今回の官能小説
『浪漫的恋愛』(小池真理子、新潮文庫)

 携帯電話とインターネットの普及により、ひと昔前とは比べものにならないほど、不倫人口が増えているという。出会い系サイトを駆使して、確実に夫が不在中の時間帯に会うことのできる相手を見つけることもできるし、SNSで学生時代の恋人の名を入力すれば、簡単に再会でき、消化不良に終わってしまった昔の恋をもう一度始めることだってできる。固定電話でこそこそと連絡を取り合っていた時代は、今は昔。今では夫と同じリビングにいても、携帯電話で女友達にメールを出すフリして、愛の言葉をささやける時代になったのだ。

 本来ならば、ワケありの大人同士の恋愛だったはずの「不倫」という呼称が、今や「婚外恋愛」なんてポップに呼ばれることもある。不倫がまるで、若者たちの気軽な恋愛のようにカジュアル化して来ている。その裏には、一歩間違えれば訴訟問題、相手の人生も破綻させてしまうほどの危険性が潜んでいるにもかかわらず。

 今回紹介する『浪漫的恋愛』(新潮文庫)は、お気軽なばかりの「婚外恋愛」という呼び方はふさわしくない、大人同士の「不倫」を題材にした小説である。主人公は、出版社の編集部に勤める千津、46歳。不倫相手は、建築会社を営む柊介は49歳。この2人の恋愛を俯瞰していると、ぼんやりとしていた“大人の恋愛”が、次第にくっきりと形成されてゆく。

 「月狂ひ」という小説をアンソロジーに掲載する許可を得るために、作者の子息である柊介のもとを訪れた千津。出会ったその日から、燃え盛る炎のように激しい恋心を抱き始めてしまう。そして柊介も、千津と同じように、彼女に強く魅了されてゆく。

 2人は身を焦がすような愛欲に溺れて行く――神秘的な青白い光に翻弄されるように。2人を引き合わせるきっかけとなった物語「月狂ひ」の主人公たちとおなじ運命を辿るのは、まるで必然のよう。

 けれど千津は、柊介に惹かれれば惹かれるほど、自らの恋心にきつくブレーキをかけてしまう。彼女の母親もまた、不倫の恋に溺れていた。千津の母は、不倫相手と会っている間に、千津の弟である息子を交通事故で亡くしてしまった。そして、自責の念に駆られ、自らの命を絶っていたのだ。

 自分にも、相手にも家庭がありながら、なお柊介に魅了されてゆくたびに、母と自分を重ねては理性を取り戻す千津。母親とまったく同じ道を辿りつつある自分自身に、「この恋の先に待ち構えている末路も、母と同じなのだろうか……」と、何度も自問自答しながらも、「私は母とは違う」と強い信念を持ち、過去のしがらみと静かに対峙し、柊介を愛し続ける。

 そんな、不倫に対して理性的にならざるを得ない背景を持った千津は、柊介を愛していながらも、夫との性生活を受け入れていた。もし感情が先走り、夫の誘いを拒んだとしたら、2人の関係を危険にさらしてしまう。そして、軽はずみな行動から派生した火の粉は、夫や子にも降りかかり、彼らの生活も危ぶまれてしまう。夫、子ども、柊介に対して、責任を持とうとする千津の姿が、そこにはあるのだ。

 自分を取り巻く環境――誰もが頭では理解しているつもりでも、もし不意に恋に落ちてしまったら、どうだろう? 身を焦がすほどの恋が降って来てしまったら、どうだろう? 夫も子も忘れるほどにその恋に身を投じて、溺れるのも1つの選択であり、間違ってはいないように思う。ただ、身も心も自由だった、若い頃の自分に戻り、1人の女として、心から楽しむことができれば、の話。本当に、妻や母の肩書きを捨て、今までの生活をすべて捨てて愛する人と共に生きて行こうと決めても、そこに完全なハッピーエンドは存在するのだろうか。

 ほんの少し前まで愛をささやいていた男は、妻子の待つ家に帰り、自分もまた、母とし、妻としての自分を待つ者の場所へと、帰らねばならない。

 大人の恋愛とは、そんな抗えない現実、自分はもちろん、相手の環境をすべてをひっくるめて愛するということなのではないだろうか。歳を重ねた2人の恋愛には、「婚外恋愛」などというポップなワードでは語り得ない、背負わなければならない重いものがあるのだ。理性的であらざるを得ない境遇の者同士が、それでもなお惹かれ合い、互いを尊重し合えた時にだけ、その2人は、永遠に固い絆で結ばれるのかもしれない。

最終更新:2012/10/01 19:00
『浪漫的恋愛』
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