[連載]悪女の履歴書

「私の将来は金しかない」結婚への執着と諦観の先……伊藤素子の焦燥


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世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。

[第5回]

三和銀行オンライン詐欺事件

 現在に機軸を置くとすれば、これほど“時代”を感じさせる女性犯罪者はいない。「三和銀行オンライン詐欺事件」の伊藤素子である。

 昭和56年(1981年)3月25日、三和銀行(当時)大阪茨木支店において1億8,000万円の架空入金が発覚する。入金オンライン操作をしたのは預貯金係の伊藤素子(当時32歳)。伊藤は当日午前「歯医者に行く」と言い残し銀行から外出、そのまま帰ってくることがなかった。だが当初、上司たちは伊藤が関与したとは思ってもいなかったという。14年間、真面目に働いてきた伊藤は周囲からの信頼が厚かった。だが、端末機や伝票記録を調べたところ、架空入金をしたのは姿を消した伊藤だった。

 その後、伊藤は1億8,000万円のうち現金5,000万円を引き出しマニラへ逃亡したことが判明、さらに犯行は伊藤の単独ではなく、それを指示した恋人の南敏之(当時35歳)の存在も明らかになっていく。

 当時マスコミは、連日この事件を大々的に報じていった。それは1億8,000万円という金額だけにあったわけではない。美貌のベテラン行員伊藤素子の“存在”と“犯行の背景”があまりにセンセーショナルだったからだ。ワイドショーをはじめとするマスコミは「美人銀行員のカネと男」などと一斉にこの事件を大きく取り上げていく。

■意思はなく、「なんとなく」世間体に流され

 伊藤は昭和23年11月18日京都で生まれた。高校教師の父、茶道や華道を教える母、兄1人、姉3人の末っ子である。幼少期は友人も少なくひとり本を読むことが好きな文学少女だったという。性的にも極端にオクテな女子だった。男の教師が近くにくるだけで、体が震えたり緊張するといった具合に。

 地元の商業高校に入学してからも、その性格はあまり変らなかった。休日はクラシック音楽を好み、当時流行していたビートルズなどは敬遠していたという。だが実生活がオクテだからこそ、夢想する理想は高かった。当時の日記に伊藤はこう書きつづっている。「理想の男性は目がきれいで背が高く、星の王子様みたいな人」と。かなりのロマンティストであり面食いでもある。昭和42年、伊藤は三和銀行に就職し茨城支店に配属された。

 昭和42年といえば、時代は高度成長期の真っ只中である。ベトナム特需で日本がGNPで3位になり、ツイッギー来日でミニスカートブームが到来、ゴーゴーバーなど若者文化も華やかなる時代だ。また学生運動も盛んで、ウーマンリブ運動も萌芽を現したこの頃、しかし伊藤はそうした世流とは無縁だった。

 男性とデートをしたりするよりも、女性同士でピクニックに行く方が楽しいという性格で、高校時代には恋愛経験もなかった。そもそも就職にしても、伊藤自身「なんとなく銀行は好きではなかった」と気乗りしなかったようだが、教師の強い勧めもあり「先生の善意を感じて断れなかった」結果だった。

 自分の希望というより、世間体や周囲に流される――。これは伊藤というより、当時の時代、女性にある程度共通する意識だったのかもしれない。だが銀行は伊藤にとって適職だった。就職後、伊藤は小遣い帳を購入し、1円単位でも正確に書き込んでいった。お金はなるべく使わず趣味は貯金。金銭に対する細かさは家族に対しても例外ではなかった。「血は繋がっていても金銭的には他人だ」、これが伊藤の座右の銘というから、金銭的な執着と生真面目さを持ち合わせた女性でもあったようだ。

 社会人になってからもメンクイという“男の好み”は相変わらずだった。頻繁に持ち込まれる見合い。しかし一流企業の社員でも見た目が気に入らないと断り、身長を聞いては断った。もちろんデブは論外だったらしい。伊藤の極端な男の好みに加え、性格の生真面目さ、金銭に対する執着――これらは、その後伊藤が手を染めてしまう事件とは無関係ではない。こうした伊藤の“特性”こそ人生を崩壊させる遠因といってもいいものだった。

■処女を捧げた男、金を渡した男にチラつく結婚

 そんな伊藤が初めて男性と関係を持ったのは20歳の時だった。相手は銀行に出入りする関係会社のサラリーマンA(当時29歳)だ。しかし半年後、伊藤はAに妻子がいることを知る。だが伊藤はAと別れることはなかった。「(処女を捧げてしまった)この人を失ったら、もう正式な結婚なんかできない」。今から考えればあり得ないことだが、当時の伊藤は不倫よりも処女性を重視したのだ。その後「離婚する」というAの言葉を信じ、2度の中絶をも承諾した。

 Aとの関係はその後12年間にも及ぶのだが、そんな伊藤の前に現れたのが南敏之だった。JC(青年会議所)メンバーで旅行代理店を経営する南は、最初から妻子がいることを公言し、高級レストランで伊藤を口説いた。煮え切らないAとの不倫でボロボロになっていた伊藤にとって、南の態度は「男らしい」と映った。しかも南は185センチの長身で超ハンサムだ。「中学時代から夢にまで見た理想の男性」が現れたのだ。愛車のキャデラックに乗り、服装など身の回りの物もブランドで固め、財布には常に20~30万円入っていた。「青年実業家といったタイプで、小遣いも派手に使う。そんなところが好き」。伊藤はすぐに夢中になった。セックスも「自分の体が怖くなる」ほどだった。

 だが伊藤がお金持ちと信じていた南は、実際には代理店の経営に行き詰まり金策に走り回っている状況だったのだ。肉体関係ができてたった2週間後、南は10万円の借金を伊藤に持ちかけている。伊藤はこれを了承した。すぐに返してもらえると思ったからだ。その後も30万円、50万円とさまざまな理由をつけ借金をせがむ南に、伊藤はお金を渡し続けた。キャッシュカードまで預けたこともあった。お金を無心するのは必ずホテルのベッドの中だったという。

 しかし次第に伊藤は不安になる。元来「家族でも金銭的には他人」という金銭感覚を持つ伊藤である。だが南は、「まとまった金が入る」など、その都度甘言を弄して伊藤から金を巻き上げていった。そして伊藤の預金がゼロに近づく頃、ついに南は銀行のオンライン詐欺を伊藤に持ちかけるのだ。当初は頑なに拒否していた伊藤だったが、南は「2人でマニラに行って日本料理屋でも開いて暮らそう」と必死に説得した。それでも決心の付かない伊藤に、南は脅しまでかけている。「裏の人間が動いているから引き返せない」「俺が殺されてもいいのか」。

 しかし、伊藤は南の脅迫や夢物語だけで犯行を決意したわけではない。伊藤の手記にはこんな興味深い下りがある。「彼に貸した750万円のことを思うと、大きな声でなにか叫びたくなるような衝動にかられました」。

 もし南の言うことを聞かなければ、このまま別れてしまえば貸した金750万円は返ってこない。こんな伊藤の金銭への執着、葛藤が存在したのだ。これまでコツコツ貯めた大切な財産への執着。後に伊藤はこう語っている。「婚期を逃した女の将来を考えると、私の場合お金だった」と。

 32歳で預金もなくなった伊藤。その上「この男に捨てられたら人生はお終い」と強く感じたことが、犯行を決意する最後の後押しとなった。
(取材・文/神林広恵)

そして30年後の現在は、婚活バブル

しぃちゃん

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