[官能小説レビュー]

「はんこや」から読み解く、夫婦間における「追っかけ」の危うさ

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『蠱惑~美人妻の熟れ肌~』(河出書
房新社)

■今回の官能小説
『はんこや』岡江多紀(『蠱惑~美人妻の熟れ肌~』/河出書房新社より)

 男女の上下関係は、一度定めると最後。逆転することは非常にむずかしい。恋愛の場ではそんな関係性も楽しみのひとつではあるけれど、いざ夫婦となるとそうはいかない。初期設定でマウントポジションを取れれば安泰、けれど逆は永遠に報われない思いを抱えながら過ごすことになってしまう。

 異性としての魅力を感じたままの相手との結婚生活は、非常に危うく、苦しいもの。今回ご紹介する「はんこや」の主人公・梨沙子を見ると、そう感じずにはいられない。

 梨沙子は、夫・克己と知り合ったころから結婚して12年経った今まで、変わらぬ想いのまま愛している。夫婦となり、子宝に恵まれてもなお、克巳に愛されたいと渇望している。娘の真希が生まれてから、かつては梨沙子の特等席であった克巳の隣は真希に奪われた。差し向かいに夫と娘、隣には炊飯器を置いて食卓を囲む日々。セックスをしている間に克巳が幼い娘の話をするだけで不機嫌になり、娘に対して嫉妬をするほどの強い執着を抱いている。梨沙子は、39歳になってもなお、克巳の恋人でいたいのだ。

 昨年の秋に越して来たばかりの街。その日はふと冒険心がわき、半年ほど足を踏み入れることがなかった駅の反対側へ渡った。真新しい風景を眺めながら商店街を抜けると、とあるはんこ屋を見つけた。ガラスケースに飾られた印章のなかで、ぽつんと朱色の猫が丸くなって寝ているはんこを見つけた。ひと目で気にいった梨沙子は、はんこ屋のドアを叩いた。

「ああいうの、作ってもらえるんですか?」
「それはまぁ、モノにもよりますけど」

 梨沙子よりも数歳若い店主・矢島の視線を受けながら、作ってもらいたいはんこのイメージとして、象のイラストを描いた。結婚する前には他の男性から浴びていた視線を矢島から確認すると、梨沙子が推測していた性的なものではなく、憧れのまなざしであった。独身時代に男性から向けられていた”ヤリたい”視線ではなく、もっと切実なものだった。

 注文書に連絡先を残し、心臓を高鳴らせつつも矢島の店を後にする。克巳と出会ったころの梨沙子も同じように心をときめかせ、なかなか踏ん切りのつかない克巳を後押しするように、ベッドの上で自らプロポーズをした。以来、梨沙子は常に克巳に対して、一方的にドキドキしているようなコンプレックスを抱えている。心が苦しくなるようなせつなさ。矢島は梨沙子に対して、それを感じている。

 梨沙子は、3日続けて矢島の仕事する場を見に「はんこ屋」へ足を運ぶ。離婚歴があることや母親とふたり暮らしであることを聞き、熱っぽい矢島の視線を受けながら、梨沙子も彼に抱かれてみたいと感じはじめる。朱色の象のマークが完成されたとき、梨沙子から矢島を誘った。

「好きになったから」

 裸の男女が平気でつく、ありきたりのウソ。けれど、それは果たして本当にウソなのだろうか? 分別がつかないほど、矢島との快楽に溺れてゆく――。

 本当に好きな男を夫に選ぶと、その先に待つ運命は永遠に報われない「追っかけ」。そんなもどかしさを払拭するためには、誰かに「追っかけ」られることが必要なのかもしれない。

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