『わたしの少女マンガ史』刊行記念インタビュー

「敵が見えづらい」、「花とゆめ」「LaLa」を創刊した編集者が語る、少女マンガの現況

2011/10/30 17:00
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『わたしの少女マンガ史―別マから
花ゆめ、LaLaへ―』(西田書店)

 美内すずえ、市川ジュン、木原敏江、くらもちふさこ、成田美名子……あまたの少女マンガ家と伴走し、名作を世に送り出してきた、元白泉社代表取締役・小長井信昌氏。集英社の少年雑誌「おもしろブック」編集部からキャリアをスタートさせ、「りぼん」「別冊マーガレット」へと移動。白泉社設立に参加し、「花とゆめ」「LaLa」を創刊した、いわば少女マンガの円熟期の立役者ともいえる。著書『わたしの少女マンガ史―別マから花ゆめ、LaLaへ―』(西田書店)はイチ編集者の回想記にとどまらず、少女マンガがビジネスとして文化として興隆していく舞台裏を記した史料としての側面もある。一方で現在の少女マンガは雑誌が低迷し、人気作のコミックの売り上げに依存している。今回は著者の小長井氏に、現在の少女マンガを取り巻く状況と問題点を聞いた。

――『わたしの少女マンガ史』では戦後の貸本マンガという形態から、「少女雑誌」と呼ばれる月刊誌・週刊誌が誕生し、少女マンガがカルチャーとして花開いてく様子が見て取れます。その分、少女マンガの現状を危惧する記述もありますが、編集者としてまた経営者として少女マンガの衰退を意識した出来事は?

小長井 編集者は常に「今をよくしよう」と思っているから、いつから停滞したということをはっきりとは言えないんですよ。ただ今、少女マンガをビジネスとして語る人が少ない。文化として語る人は多いし、少女マンガやいわゆる24年組(編註1)の作家を芸術視する向きもあるけれど、「文化」なんて狙って作るもんじゃないし、結果。本当はビジネスなんですよ。いま、少女マンガが衰えているのは、ビジネスとしての面が弱くなってきているから。今でも面白いマンガはいくつかあると思いますが、雑誌部数が落ちて来てる。特に少女マンガは大きい。少年誌も大きいのだけれど、「少年ジャンプ」(集英社)は『ONE PIECE』(尾田栄一郎)のおかげでまだ持っている。部数から見たら危機感を持っているし、作品自体にも問題もあるんじゃないかと思う。

――本書でも、「コミックの売り上げに頼っているから、雑誌の売り上げが落ちている」という指摘をされていましたね。

小長井 そうだね。新書版コミックスで最初に成功したのは、マーガレットコミックスなんですよ。『アタックNO.1』(浦野千賀子)とか『おくさまは18歳』(本村三四子)がドラマ化・アニメ化されてコミックの売り上げが伸びて行ったんですよ。
 このころは雑誌も売れていたから雑誌で利益を出し、コミックスでも利益を出していた。それがだんだん雑誌が売れなくなってきたら、コミックスに頼るように。最初からコミックスを出すために雑誌掲載をしている、という雰囲気になってきちゃったね。それじゃ本末転倒。コミックスの巻数ばかり伸びて、雑誌掲載で読むとまったく話が進まない。やたらアップの画ばかり増えちゃって、コマも大きくなっている。本当に面白い物語を作ろうという姿勢が弱くなってきていると思うよ。

――物語が出尽くして、新しい物語が生まれにくいという状況もあるのでしょうか?

小長井 今は混迷の時代だから、マンガ家さんもどういう話がいいのか迷っているんだと思う。だから編集者が「コレでやれ」という強い姿勢で指導していかないと。僕は、少女マンガの現状を打破する手段は、「編集にあり」だと思っている。

――本書には「別冊マーガレット」が「ぜんぶ読み切り」だった時代、古今東西の寓話や神話をストーリーのヒントとして話し、作家の想像力を喚起し、ストーリーテーラーとして育てたというエピソードがありました。今のマンガ編集者はストーリー作りにそこまで寄り添っていないのでしょうか?

小長井 やっぱり、マンガ家に任せるんだと思う。本当は連載が始まる前に半年~1年分の計画をしっかり話し合っておくべき。もちろん始まってから、人気や反響によってそれが変わるかもしれないけど。今の編集者は、「先生、次はどうします? じゃあ、それやりましょうか」という具合でしょう。マンガ家さんに「こういう作品をやった方がいいよ」と引っ張っていかないとダメだと思う。

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小長井氏が白泉社社長に就任した際に、ゆかり
のあるマンガ家先生が作ってくださったという
小冊子は本書の巻末にも収録されている。小長
井氏が眺めているのは、竹宮恵子氏のページ
(クリックすると拡大します)

――昔のマンガに比べれば、今はストーリーが希薄になっていると言われても否めないように思います。

小長井 本当にそうだと思う。今のマンガ家さんは本当に絵が上手で、昔とは比べ物にならないぐらい。ただ、「少女マンガの黄金期」と言われた70年代(編註2)を見てみると、それぞれ個性もある、絵柄も違う、人気もある、そして作品のテーマも違う。それが読者にとっても魅力だったんだと思う。でも今は、例えば「イケメン」「執事」という流行があると、全体がそちらに寄ってしまう。二番煎じ、三番煎じになることを恥だと思わないマンガ家さんも多いのだろうし、編集者もそれを言わないんだろうな。

――現在の少女マンガを取り巻く状況から考えると、BLが少女マンガを脅かす存在だと指摘する人も多いですが?

小長井 BLはひとつのジャンルとして面白い。ただ「男女の愛をBLに仮託している」と言う人もいるけど、仮託する必要はないし、それは違うだろうとも思う。三島由紀夫の『禁色』のように、今までやっていないテーマとして一つの美学を極めるならいいけど、本屋でBLコーナーを見て見ると、だいたいみんな同じにような話になっちゃっている。確かに売り上げも大きいだろうけどファン層も限られているし、少女マンガに影響があるのかは分からないな。

――もう一つの大きな流れとして、性別のボーダレス化があるように思います。例えば、青年誌「モーニング」「モーニング・ツー」(いずれはも講談社)などは女性作家が多く、読者も女性が多い。マンガが読み手の性別を選ばなくなってきていると思うのですが?

小長井 やっぱり「面白いもの」を読みたいんだろうから、そうなるのでしょう。少女マンガだから買うとか、「リボンの愛読者」「マーガレットの愛読者」という読者のカテゴリーがなくなっている。群小雑誌ばっかり増えて、強い雑誌がなくったというのも原因のひとつだと思うよ。出版社や編集者も「敵」が見えづらくなって、雑誌の個性がなくなっているから。

――少女マンガの今後の活路は?

小長井 やはり当たり前なんだけど、面白いドラマ・ストーリーを追求すること。面白さっていうのは、読者の「興味」「共感」「快感=笑わせたり、気持ちよくさせること」から成り立つわけだから、マンガ家さんの独りよがりじゃだめ。今は震災を経て「きずな」が求められる時代になってきていると思う。だから家族、母と娘をテーマにした作品など、少女マンガの原点となるテーマを掘り起こしてみるべき。女性の人、若いマンガ家じゃないとかけないのが少女マンガの根本。恋やファッションもいいけど、災害が起こった今だから、改めて「家族」というテーマを見直してみるべきだと思う。
(取材・文=編集部)

編註1 昭和24年前後の生まれで、1970年代に少女マンガに新たな風を送りこんだマンガ家たちのこと。竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子、木原敏江ら。

編註2 70年代は24年組の台頭もあり、少女マンガ史に残る作品が相次いで誕生した。一部を羅列すると、『ベルサイユのばら』(池田理代子、集英社)、『ポーの一族』(萩尾望都、小学館)、『デザイナー』(一条ゆかり、集英社)、『キャンディキャンディ』(いがらしゆみこ、講談社)、『スケバン刑事』(和田慎二、白泉社)、『風と木の詩』(竹宮恵子、小学館)、『カリフォルニア物語』(吉田秋生、小学館)、『パタリロ!』(魔夜峰央、白泉社)など。

小長井信昌(こながい・のぶまさ)
1930年、静岡市生まれ。集英社入社後、「おもしろブック」「りぼん」編集部を経て、「別冊マーガレット」編集長に。73年白泉社創立に参加。編集担当役員、編集長として「花とゆめ」「LaLa」「ヤングアニマル」「MOE」などを創刊。代表取締役社長、代表、相談役を務め、2005年退社。著書に『オ父サンノセンサウ』(西田書店)。

『わたしの少女マンガ史―別マから花ゆめ、LaLaへ―』

マンガの発展の3大要因「マンガスクールの創設、普及」「新書版コミックスと文庫の定着発展」「作者と出版社編集のコミュニケーション」を主軸に、少女マンガの興隆の舞台裏をつづった。今なお絶大な人気を誇る、『ガラスの仮面』(美内すずえ)の連載前夜や「花とゆめ」「LaLa」創刊顛末記など、ファンにはたまらないエピソードも満載。

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最終更新:2011/11/02 22:43
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