ジャニーズグループ徹底解剖【第二回】

企画色の強かったV6、ジャニー氏に育てられたKinKi Kids、それぞれの立ち位置

 1962年に創立されたジャニーズ事務所は、現在ではデビュー組だけでも10組を超えるアイドルグループを抱えている。芸能界で常勝を続けるジャニーズ事務所の強さの理由はどこにあるのか。いま改めてSMAPからKis-My-Ft2までの各グループの生い立ちと功績を追う。

■バレーボール、ジャニーズ予備校など色の強かったV6

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 1995年8月、フジテレビ主催の「バレーボールワールドカップ」のイメージキャラクターを新しいグループが務めることがアイドル雑誌「Myojo」(集英社)で発表され、グループ名「Vsix」と発表される。メンバーは坂本昌行、長野博、井ノ原快彦、佐野瑞樹、原知宏、喜多見英明の6人が候補として公表された。その後、佐野、喜多見の代わりに森田剛、三宅健が加入。この6名で、六本木のディスコ・ヴェルファーレで「V6」としてデビュー記者会見が行われた。その後、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)内のオーディションコーナー「ジャニーズ予備校」に合格していた岡田准一が原と入れ替わり、現在のメンバー構成となる。

 少年隊などのバックなどを務め、下積み時代が長かった最年長の坂本にとっては念願のデビューで、事務所内のデビュー最年長を記録した(当時)。しかし、最年少の岡田はわずか3カ月で抜擢という坂本とは対照的なデビューだった。ジャニー氏の発案でグループの年長組3人(坂本・長野・井ノ原)を「20th Century」(通称:トニセン)、年少組3人(森田・三宅・岡田)を「Coming Century」(通称:カミセン)として区分けし、それぞれ活動を行うこともある。

 同年11月1日「MUSIC FOR THE PEOPLE」でCDデビュー。オリコン初登場3位を獲得し、累計売上52.8万枚。同日、国立代々木競技場第一体育館でデビューイベント「SING FOR THE PEOPLE」を開催し、3万人の観客を動員した。ユーロビート調の音楽に、息の合ったアクロバットを披露するパフォーマンスが特徴で、1~4枚目のシングルまで同様のスタイル、その後の「愛なんだ」「WAになっておどろう」などのポップス曲もヒットしたが、現在までにミリオン楽曲は生まれていない。

 イメージキャラクターを務めた「バレーボールワールドカップ」ではタイアップドラマ『Vの炎』(フジテレビ系)で注目を集めるとともに、中継などでも大会を盛り上げた。V6以後は嵐、NEWS、Hey! Say! JUMPがお披露目されるなど、フジテレビの「バレーボール」とジャニーズのグループの絡みは伝承されていく。バレーボールのキャラクターという企画色の強い活動だったため、V6は当初1年で解散と計画されていたともいう。その後のグループが息長く活動できているのもV6の功績が大きいといえるだろう。

 V6の人気を世に広めた番組として、97年から08年まで続いた『学校へ行こう!』(TBS系、05年4月~は『学校へ行こう!MAX』)が挙げられる。学校の屋上で生徒が思いのたけを叫ぶ「未成年の主張」をはじめとした人気コーナーは中高生を中心に一大ブームが巻き起こった。学園バラエティーといった企画色の強い番組が見事にハマった。

 現在はストレートプレーやミュージカルといった舞台作品・映画・ドラマなどで才能を評価されることが多く、司会業を始めた井ノ原の存在もグループの安定感を支えている。昨年「週刊文春」(文藝春秋)の報道によりV6の解散説が流れたが、メリー氏は「絶対、解散させない」と激怒したという。事務所からの特別な引き立てやひいきが介入していない分、メンバー個々の実力が感じられるグループといえる。アンチが少なく、演技力、歌唱力も評価されていること、またメンバーの年齢に伴い色気が出てきたという評価もあり、中堅グループながらこれからの進化も期待できるグループだ。

【「YOUたちスゴイよ!」豆知識】
・元祖「バレーボールワールドカップ」イメージキャラクター
・メンバー全員バック転ができ、アクロバットを得意とする

【事務所内の派閥でいうと?】
メリー喜多川副社長の一派

■ジャニー氏の寵愛を受け続けるKinKi Kids

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デビュー1年後、1998年のおふたり

 KinKi Kidsは、関西出身の堂本光一、堂本剛によるデュオグループ。苗字が同じであることから当初はよく兄弟だと思われていたが、縁戚関係はない。1991年5月5日に横浜アリーナで行われた光GENJIのコンサートで初めて出会ったふたりは、翌年からアイドル雑誌などで活動するようになる。

 グループ結成時は正式なグループ名がなく、SMAPのバックとして出演した92年の『NHK紅白歌合戦』では「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」として紹介される。名付け親のジャニー社長は「Youたち今日から『KANZAI BOYA』だよ!」と言われたとのこと。ふたりはユニット名に不満を持っていたが、社長は「SがZなのがイイんだよ!」と述べていたという。その後、93年4月放送の『キスした?SMAP』(ABC)で正式にグループ名を「KinKi Kids」と発表し、翌年12月31日にはデビュー前ながら日本武道館でファーストコンサートを開催。95年の春には全国4カ所のコンサートツアーを行う。

 デビュー前からドラマ『人間・失格』(TBS系、平均視聴率19.2%)や『若葉のころ』(TBS系、平均視聴率16.5%)に出演、個人でも剛が『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系、平均視聴率23.5%)、光一も『銀狼怪奇ファイル~2つの頭脳を持つ少年~』(日本テレビ系、平均視聴率20.8%)で主演を務め、着実にファンを増やす。97年7月21日、シングル「硝子の少年」、アルバム『A album』の同時発売で待望のデビュー。「硝子の少年」は500円、アルバムは2,500円とセットで購入して通常のアルバム1枚分の価格という優れた戦略だった。2作ともオリコン初登場1位を獲得し、「硝子の少年」は累計売上179万枚。両作ともミリオンセラーを記録し、ジャニーズ事務所17年ぶりのミリオンセラー作品となる。その後も「愛されるより 愛したい」、「全部だきしめて/青の時代」と、ミリオンヒットを連発。

 デビュー曲を作曲した山下達郎が後に「かなりのプレッシャーだった」と語っているが、ジャニー喜多川氏にオリコン初登場1位とミリオンセールスを達成する曲であるよう条件を出されていたという。ジャニー氏自らがKinKi Kidsを全面的にバックアップしているのは広く知られており、光一の舞台『SHOCK』の作・演出がジャニー氏であることや、剛の自由なソロ活動が容認されていること、ジャニー氏のマンションに剛名義の物件があることからも、ジャニー氏が直接の担当であると分かる。

 11年6月15日発売の「Time」で、デビューシングルから31作連続で初登場1位のギネス記録を更新した。ほかにも東京ドーム史上最多公演アーティスト総合1位(41回)の記録を保持している。

【「YOUたちスゴイよ!」豆知識】
・デビューから31作連続1位のギネス記録
・東京ドーム史上最多公演アーティスト
・デビュー前から主演ドラマで高視聴率

【事務所内の派閥でいうと?】
ジャニー喜多川社長派

『V6 ASIA TOUR 2010 in JAPAN READY? (初回生産限定〈READY?盤〉) 』

V6兄さんの再評価くるか?

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