ジャニーズグループ徹底解剖【第一回】

ジャニーズ事務所の強さはどこに? SMAP、TOKIOの功績を探る

2011/08/24 16:00

 1962年に創立されたジャニーズ事務所は、現在ではデビュー組だけでも10組を越えるアイドルグループを抱えている。芸能界で常勝を続けるジャニーズ事務所の強さの理由はどこにあるのか。いま改めてSMAPからKis-My-Ft2までの各グループの戦略と功績を追う。

■落ちこぼれグループを救ったのは戦略に長けたマネジャー

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 1988年4月、先輩・光GENJIの「ガラスの十代」のバックを務めていた「スケートボーイズ」の中から6人(中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾)で結成されたSMAP。91年9月9日発売の「Can’t Stop!! -Loving-」でデビューし、オリコンランキング初登場2位。デビュー時の平均年齢は17歳。当時のジャニーズ事務所でデビュー曲が1位を獲得できなかったことは異例であり、リーダー・中居正広はテレビ番組等で「ジャニーズで初めてデビュー曲が1位じゃなかった」と現在でもネタにしているほどだ。

 CDデビュー前に日本武道館で3公演を行い、初コンサートで3万人を動員した。デビュー当時はアイドル氷河期と言われる時代であり、デビューCDの累積売上枚数は15万枚。メンバーは音楽番組の減少により歌唱を披露する場が少なかったことも一因だと後に話している。

 彼らはバラエティー番組中心の活動を余儀なくされたが、結果的にそれがケガの功名となり、SMAPの人気は徐々に高まっていくこととなる。また、ドラマ班(森・木村・稲垣)とバラエティー班(中居・草なぎ・香取)として、活動の幅を個々に広げて行ったこともグループ全体の知名度を上げるきっかけとなった。92年から放送されたバラエティー番組『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)で人気に火がつき、94年発売の「Hey Hey おおきに毎度あり」で、12作目にして初のオリコン1位を獲得。以降、SMAPは次々とヒットシングルを連発していく。96年4月には現在まで続く『SMAP×SMAP』(同)の放送が開始。

 しかし同年5月、森がオートレーサーに転向するため脱退する。5人となって初のシングル「青いイナズマ」は80.7万枚の大ヒットを記録し、当時ではSMAP史上最高の売り上げを記録した。

 これらドラマ班、バラエティー班などグループの売り出し戦略を考え、ブレークに至ったのには、SMAPの育ての親である敏腕マネジャーで、ジャニー喜多川社長派といわれる飯島三智氏の功績だ。一方、飯島氏と対立関係にあると言われているメリー喜多川副社長は森の脱退時、マスコミ各社に「森などという人間は最初から(SMAPに)存在しない」とコメントし、森の映像をメディアに流さないように圧力をかけたとされている。

 デビュー当時は不遇だったが、時代を読んだ優秀なスタッフの戦略がここまで成功したグループはないだろう。メンバーの逮捕など、不祥事も決して少なくはないが、ジャニーズひいては国内を代表するアイドルグループであることは間違い無い。

【「YOUたちスゴイよ!」伝説】
・デビュー前に日本武道館にて3公演
・ドラマ班、バラエティー班を確立

【事務所内の派閥でいうと?】
・飯島三智氏派(ジャニー喜多川社長派)

■メリー派ながらひいきもないフラットなグループ

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デビュー時はホットパンツがアイコンだった長瀬

 94年に「LOVE YOU ONLY」でデビューしたTOKIOは、男闘呼組に継ぐバンド編成のグループとして注目を浴びた。89年、『アイドル共和国』(テレビ朝日系)で前身となる「城島茂バンド」を城島と山口達也で結成、光GENJIやSMAPのバックバンドを務める。後に国分太一、松岡昌宏、小島啓が加入。ダンスユニットとして活動するも、城島がジャニー喜多川氏にバンド形態でやりたい、と直談判しTOKIOとなる。94年、小島が脱退、サポートメンバーだった長瀬智也が正式メンバーとなり現在に至る。

 デビュー当時の衣装はサングラス、ヘアーバンド、へそ出しルック、裸にベストを着用するなどハイセンスなものばかりで、特に長瀬はホットパンツを定番としていた。デビュー記者会見は武道館で行い、デビュー2カ月後には武道館でコンサートを行っている。同年の『NHK紅白歌合戦』にはデビュー3カ月という当時史上最短記録での初出場を果たした。デビューシングルの累計売上は52.0万枚。バンドパフォーマンスがメインのため、一般的にTOKIOのメンバーは踊りができないというイメージも強いが、Jr.時代は光GENJIやSMAPなどのバックダンサーを務めておりダンスレベルも高い。

 97年には、阪神・淡路大震災へのチャリティー活動の一環としてV6・KinKi Kidsとともにユニット「J-FRIENDS」に参加。98年には『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)において、少年隊と共演。「湾岸スキーヤー」でJ-FRIENDSがバックダンサーを務め、豪華な組み合わせが実現した。

 TOKIOのブレークは、95年に始まったグループとして初のメイン番組『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)がきっかけの一つといえる。さまざまな企画に体当たりするメンバーの一生懸命な姿が好評を博し、当初は深夜枠だったが、現在では日曜夜のゴールデンタイムに移動。

 近年ではそれぞれ俳優としての活動も多い一方、グループとしては06年にデビュー以来初めてのライブホールツアーを行うなど、音楽性を重視したライブパフォーマンスもファンを喜ばせた。演奏能力についても各方面で評価されており、楽器の専門誌に登場するジャニーズタレントというとTOKIOのメンバーくらいではないだろうか。

 またTOKIOは事務所社長であるジャニー氏の姉・メリー氏派と言われているが、他グループやメンバーらと比べても露骨なひいきが感じられないのも特徴。08年には山口が元モデルの女性と結婚しているが、事務所からの反対や妨害があったという話も聞こえてはこなかった。不祥事もまったくといっていいほど聞こえてこず、アンチも少ないことから安定した人気を誇る古参グループの代表格的ポジションだ。

【「YOUたちスゴイよ!」豆知識】
・デビュー3カ月で「NHK紅白歌合戦」に出場(当時の史上最短記録)
・体当たりなチャレンジ企画・番組に参入

【事務所内の派閥でいうと?】
・メリー喜多川副社長(ジャニー氏の姉)一派

『永久保存版 SMAP二十歳 [単行本]』

TOKIO担当の聖地は武道館

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最終更新:2012/07/24 23:00

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