[官能小説レビュー]

非日常的なセックスであぶり出された「性」と「生」。生々しい欲望を描く「ミクマリ」

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『ふがいない僕は空を見た』(窪美
澄、新潮社)

■今回の官能小説
窪美澄『ふがいない僕は空を見た』収録作品「ミクマリ」

 2011年本屋大賞第2位、山本周五郎賞……新潮社が窪美澄という作家を世に送り出したとき、まさかこれほど急成長するとは思わなかっただろう。新潮社主催の「女による女のためのR-18文学賞」を受賞したのは、この書籍の最初に収録されている「ミクマリ」。主人公の男子高校生と人妻との、痛々しいほど真っすぐなセックスが描かれている。

 主人公の「おれ」は、いわゆる普通の高校生のセックスとは少し異なる行為をしている。友達の付き添いで行ったコスプレイベント。そこで知り合った、デブでブスなコスプレイヤーの人妻「あんず」が書いた台本を手に、奇抜な衣装を身につけ、そのキャラクターになりきりセックスをするのだ。そして、いつもあんずに一万円札を握らされて部屋を後にする。金髪のウイッグを被り、アニメ声で喘ぐあんずを台本どおりに抱く「おれ」。「妊娠できないから」と吐き捨てるように言うあんず。そして助産院である「おれ」の家のドアを開けると、喘ぎ声によく似た産婦さんの苦しむ声が勢いよく響き渡る。「生」と「性」って表裏一体だ。

 多分「おれ」自身も、どうして奇妙なセックスを日常化しているのか気付いていないのだろう。同じ学校に松永という好きな女の子が居たのに、コミケで知り合った、すぐヤラせてくれる人妻を取ってしまった。確固たる意思があるような素振りをしていて、目先に快楽をぶらさげられればコロッと落ちてしまう。男子高校生の恋愛感情なんて、その程度のもの。だから、健全な高校生の男女であれば「愛をたしかめ合う行為」であるはずのセックスを無感情で日常化させていても、それと同時に松永と付き合う寸前の甘酸っぱい仲を楽しんでいたりする。

 あんずとの刹那的なセックスを重ねる「おれ」も、自分の帰りを待っていた松永の姿を見つけて切なくなる「おれ」も真実。オトナになった今では思い出すこともこそばゆい、曖昧だけれどまっすぐな想い。天秤にかけてもぴったり水平になってしまうふたつの気持ち、10代のころには誰しも持った時期があるんじゃないかなと思う。

 流されるままに行き着いたあんずとの快楽と決別しようと、「おれ」は一方的にあんずに別れを告げ、松永との健全な恋愛と向き合おうとする。そんなある日、たまたまスーパーでベビー用品売り場をうろつくあんずとばったり再会してしまった。その日から「おれ」の頭はふたたびあんずでいっぱいになる。

 そして、バイトを無断欠勤してあんずの家を突然訪問する。それまでのように台本もコスプレもない、衝動的なセックス。玄関先で唇を押し付け、靴や衣服を脱ぐのももどかしいくらいに下着をずらしてあんずの中に入る。数回こすっただけでイッてしまう二人。リビングに並べられた二人分の朝食の跡を横目で見ながら部屋へと急ぎ、互いをむさぼるように抱きあう「おれ」とあんず。何度も何度も求めあった後、あんずから不妊治療のためにアメリカへ旅立つことを告白される。

 次にあんずと会うときには、彼女は腕の中に赤ん坊を抱えているのだろう。そんな虚無感を抱えて自宅に帰ると、助産院である「おれ」の自宅では今まさに新たな命が誕生しようとしていて、あえぎ声に似た耳をつんざくような声が響きわたっている。

 冒頭からラストまで交錯する「おれ」の背徳と倫理、生と性。その生臭さがすごく魅力的だ。子作りに励む夫婦は別として、最中に「子どもを作る行為だ」と認識しながらセックスをする人って、どれだけいるだろう? この物語の主人公の「おれ」とあんずは、それぞれの想いがあまりにも遠いところにあって、それらがたまたまの利害関係で一致するところがすごくリアル。セックスのときのあえぎ声と、出産のときの声。それらがとても似ているって、とても神秘で、ごく自然なことなのかもしれない。

『ふがいない僕は空を見た』

さわやか~!

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