アメリカン・ドリームの証

フォルクスワーゲンに一家で寝泊まり! ホームレスだったセレブとは?

2011/01/31 11:45
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今じゃ大物なのに、ホームレスだったなんて……

 未曾有の不景気により日本でもアメリカでもホームレスが増加する一方だといわれている。日本のホームレスもアメリカのホームレスも、住む家がなく金銭面で困っているという状況は同じであるが、実は両者の間には大きな違いがある。アメリカのホームレスはとてつもなくパワフルなのである。

 日本のホームレスといえば公園や駅や道端でひっそりと座り込んでいるというイメージがあるが、アメリカのホームレスは違う。とにかく堂々としており、プライドを持ちつつ物乞いをする。中には、「私は将来ビッグスターになります。なので寄付を!」という看板を掲げしている若者もいる。先日、美声で一躍人気がでたホームレスの男性も、道端で自から売り込んでいたのである。

 「アメリカン・ドリーム」という言葉を証明するように、誰もが知っているハリウッド・スターたちの中にも、昔ホームレスをしていた人がいる。今回は、「ホームレスだったセレブ」の中から有名どころをリストアップしてみた。

■マーティン・シーン

 お堅い両親に役者になることを大反対され、教会の神父にお金を借りてニューヨークに出てきたマーティン・シーン。そのわりには仕事がなく、マンハッタンの地下鉄でホームレスをしていた時期があった。この頃にカトリック労働者運動の女リーダー、ドロシー・ディに出会い、精神的に強くなったという。映画『地獄の逃避行』、海外ドラマ『ザ・ホワイトハウス』などで大成功を収めた後も、プライド高き社会運動家としてデモ活動に参加しており、逮捕された回数は70を超える。何事にも動じないのはホームレスをしてどん底を見たからかもしれない。

■ウィリアム・シャトナー

 1961年に『スタートレック』の放送が突然終了となり、同じ時期に最初の妻と離婚したウィリアムは「3人の子どもと元妻を養う金を工面したら、いつの間にか家も失っていた」。仕方なくキャンピングカーで暮らし始め、町から町を移動し、舞台に出演する日々を送っていたという。精神的に辛く苦しかったが、「助手席にはいつも愛犬がいて、励ましてくれたんだ。最高の相棒がいたからホームレスから這い上がれた」と明かしている。

■ハル・ベリー

 女優になると決心し、21歳のときシカゴへ移り住んだハル・ベリー。だが、とても早い段階で金欠に。実家に電話し「家賃払ったら、食べるお金がなくなるから、少し貸して」と頼んだところ、母親は「ダメよ。自分でどうにかして。じゃなかったら帰ってきなさい」とピシャリ。ハルはホームレス・シェルターに身を寄せ、そこを拠点にオーディションを受けるようになった。母親とは1年半絶縁していたそうだが、「あの時、私は絶対に成功して大スターになるって信じてたから、ちょっと借りるだけって思っていたの。何も根拠はないのにね。母の気持ちは今なら分かる。はねつけてくれたから、私はすごく強くなれたの」と感謝の気持ちを述べている。

■ダニエル・クレイグ

 リバプール近郊に育ち、勉強はイマイチだったけれど演劇が大好きだったダニエルは、ロンドンの学校で演劇を学ぶチャンスに恵まれ16歳で銀幕デビューを果たす。が、その後役者の仕事はパッタリ途絶え、ロンドンのレストランでウェイターをしながら生計を立てていた。それでも生活は苦しく家賃が払えなくなり、公園のベンチで眠る日々が続いたという。BBCのTVドラマ『Our Friends in the North』で不運なホームレス・ミュージシャンの役を演じたのが評価され、生活が上向きになったのだが、実体験があったからこそ迫真の演技が披露できたのだろう。

■ジム・キャリー

 カナダ出身のジムの父親は会計士だったが、ある日突然会社を辞めてしまい、極貧生活がスタート。フォルクスワーゲンの車の中で一家5人が生活する暮らしは何年も続いたという。その頃、家族全員でトロント郊外の工場で掃除をする仕事をし、生計を立てていたとのこと。ジムも学校から帰ってた後、8時間働いたそうだ。ジムは、どんな酷い環境でもユーモアを絶やさず、コメディアンを目指してロサンゼルスへ移動。中古の車を我が家にしてオーディションを受けまくった。ジムは自分の小切手に100万ドルと書き「いつか、これを現金化できるようにする!」と財布に入れ、死に物狂いで仕事をしたという。その夢は1994年『エース・ベンチュラ』に出演することにより叶ったのだった。

■シルヴェスター・スタローン

 出産事故の後遺症(下唇下垂や言語障害)コンプレックス、両親の離婚などから10代は不良少年となり退学に。その後、マイアミ大学に進学し、演劇を学ぶものの学費が払えず中退。23歳の時に役者になる、とニューヨークに出てきたものの、金がなくニューヨーク・バスターミナルで3週間ホームレス生活を送った。このままじゃダメだと思ったある朝、新聞に映画出演者募集の記事を見つける。出演料は1日100ドル。ポルノ映画だったので出たくなかったが、200ドルあればホームレスから足を洗えると決心し、出演した。『ロッキー』『ランボー』シリーズで大スターとなった彼のデビュー作がポルノであるのは、こういう深いわけがあったのである。

■ヒラリー・スワンク

 両親が金銭危機に陥り、一家はヒラリーが6歳の時に、白人貧困層が集まるトレーラーパークに移住。ヒラリーは演劇の世界に現実逃避し、地元の舞台で頭角を現すようになった。女優になりたい娘の夢を叶えようと、母は75ドルを手に15歳のヒラリーを連れてロサンゼルスへ。2人は車で寝泊りし、母は公衆電話でオーディションを受けるための予約を入れまくったという。ヒラリーは『ボーイズ・ドント・クライ』でアカデミー賞を獲得した際、貧しかった幼少時代を告白し、その後もオープンに語っている。

■ジョン・ウー

 香港を代表するアクション映画監督ジョン・ウーもホームレス・シェルターに暮らした過去を持つ。ジョンがまだ7歳だった1953年のクリスマスに香港で発生した大火事で、一家は住処や全財産を失ってしまった。家族はホームレス・シェルターに身を寄せ1年間生活したという。ジョンは幼かったが、この頃の記憶は強く、鮮明に残っていると語っている。

 ほかにも、先日再婚したばかりの歌手のシャナイア・トゥエインも13歳のとき母と4人の兄弟と共にトロントのホームレス・シェルターに駆け込み「毎日食事できるようになった」と告白。歌手のジュエルも「シンガーソングライターを目指してカリフォルニアに移り住んだ18歳の時、お金がなくホームレスになった」と明かしている。元夫ポール・マッカートニーから莫大な慰謝料を受け取ったヘザー・ミルズも14歳の時、ロンドンの駅で寝泊りしていた。チャールズ・チャップリンも、幼少時に父を亡くし、母が精神病棟に入院したためストリート・チルドレンとなっていた時代があった(後に孤児院に収容される)。

 セレブの人生も山アリ谷あり。アメリカやイギリスで見かけるホームレスは、次世代のハリウッド・スターになる可能性があるのだ!

『今日、ホームレスになった 平成大不況編』

元気出して!

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最終更新:2011/03/22 13:15
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